44歳の専業主婦、パク・ヨンハの急逝で韓国語を勉強→51歳で字幕監修者に「自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」
「採用が決まったときはとても驚きましたが、おそらく、日本語力だけでなく、言葉の組み立て方や選び方なども評価されたのかなと思っています」 そして、人生初の会社員生活がスタート。 「仕事のことよりも、毎日の通勤電車が心配でした(笑)」 と振り返ったが、当時の日記にはこうつづられていた。 《今日から3連休。入社して1ヶ月、ずいぶん仕事(パソコン)も覚え、監修作業はめっちゃ楽しい。 赤坂を歩くとき、なぜここを歩いているのか なぜここを歩けるのか 思う。それは採用されたからであり、ここに入っていいよと席を準備されたから。それは 本当に自分の力でつかんだもの。だから、歩くたび とても楽しい》 自分の“居場所”を得た花岡さんは、見習いからすぐ一人前の字幕監修者へと成長。採用試験時に、エクセルという言葉自体初耳で、町のパソコン教室に「エクセルって何ですか?」と駆け込んだことも笑い話となった。 そして’19年11月、韓国の盆唐メモリアルパーク(京畿道城南市)を訪れた花岡さんは、墓地の入口の花屋さんで購入した小さな花束と、ヨンハと飲もうと用意した焼酎を手に墓へと向かった。 ようやく彼の眠る地を訪れることができた喜びで、坂道を上る足取りも軽かった。 「韓国人のファンが先客でいたんです。その方はお祈りをしたり、枯れ草を摘んだりと、なかなか立ち去る様子がない。 15分ほど待って、『私もお祈りをしてもよろしいですか』と声をかけると、すぐに譲ってくれたのですが、今度は、お墓の横で携帯電話をかけ始めて、病院の予約がどうのこうのと。さらには、通りがかりのおじさんたちにも声をかけられて……」 静かな墓前でしっとりとヨンハに語りかける自分を想像していたが、この予想もしていなかった展開に「何か違う!」と心の中で叫んだ。 「それでも、なんとか気を取り直して挨拶をしました。墓碑のヨンハの写真に向かって、『とうとう来ました。ありがとう』と手を合わせました。 そして、ますます大きくなる電話の声をよそに、持参した焼酎をお墓にかけて、自分も飲み、ヨンハと一緒に焼酎を飲むという夢がかなえられました」 念願の墓参りは、思いもよらずにぎやかなものとなったが、「ヨンハも噴き出しているだろうな」と、天国の彼に思いをはせた。 「2人の息子の子育てもあり、ヨンハが亡くなってから9年もかかってしまいましたが、字幕監修者として自分で稼いだお金で墓参りできたことは、私にとって大きな意味がありました」