「業界の人になってはダメ…」デザイナーのコシノジュンコが、“ファッションデザイナー”を名乗らないワケ
ニッポン放送でお送りしている『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』。 この番組は、日本を代表する各界の著名人が毎週登場。今の日本の礎を築いた著名人たちは、何を考え、何を次世代に伝えるのか。芸能・文化・音楽・スポーツ・経済・政治など、日本を代表する各界の著名人が週替わりで登場し、自身の人生を振り返りながら、「次世代・NEXT STAGE」への提言を発信していく。
11月28日(木)の放送では、デザイナーのコシノジュンコが登場。大阪府岸和田の出身。文化服装学院デザイン科在学中に、新人デザイナーの登竜門「装苑賞」を最年少で受賞した。 コシノ:19歳であっという間に装苑賞を受賞しちゃったわけでしょ。文学の世界でいうと、芥川賞みたいなもので、その賞を獲ると一応プロとされるって書いてあるんですよ。そのプロ意識ですよね。下手でも上手でも、プロ意識で、その意識でやっぱりなっていくものですよね。受賞した作品も、自分で作った。しょうがなかったんですよ、作ってくれる人がいなくて(笑)。当時、4畳半に住んでたんです。作品が、シャギーという生地でね、ハサミで切ると毛がバーって出てくるんですよ。小さい部屋でしょ?部屋一面、ブルー。息もできない。でも、本当にいい思い出です。 かつて「女の園」と呼ばれた文化服装学院だが、コシノジュンコが入学する前年、門戸をひろげ、男子生徒も入学。同じ学年の男子生徒には、後に世界的なデザイナーとなる、高田賢三氏(ケンゾー)、松田光弘氏(ニコル)、金子功氏(ピンクハウス)などがいた。 コシノ:昔は文化服装学院といえば、花嫁修業みたいな気持ちで来てる人が多かったんです。私の時代は。男子だから本気ですよね。一生の仕事として入ってきた。その環境だし、私生まれた時は洋装店で生まれてるから、プロとして最初からその気ですよね。一人じゃなくて、学生時代のいいライバルがいたことが私にはすごく大きかった。お互いに切磋琢磨して競争したり仲良かったり、とにかくその環境が良かったのかな。偶然にも、よくこの4人が集まって、とにかく遊ぶことも4人、一生懸命やることも4人。当時、新宿に一応目にジャズ喫茶があったんですよ。なんかドキドキしてそういうとこ行ったことあります。一人で行けないから、そうやって4人でつるんで行くわけです。当時、音楽から影響を受けたことも大きいですね。そうかともいえば、歌舞伎に夢中になったり。新しいことを誰かが持ってきてくれるので。お互いにいい影響を与え合って、いまの私があると思います。いろんな意味で毎日楽しかった。男子っていうのは、将来ずっと自分の仕事に就くわけですから、いつも本気ですよね。遊ぶことも、勉強も、全て本気。だからすごい積極的で、「装苑賞」も、4人の中で、誰が最初に獲るか。そんな環境の中で、「装苑賞」を受賞することができたのは、私の自慢です。 最年少で「装苑賞」を受賞したコシノジュンコ。現在でも、審査員を続けているが、心掛けている事があると言う。 コシノ:受賞した方ではなく、2位の方に「おめでとう」と言うんです。私が19歳で、さっさと1位になっちゃったでしょ、それ以上、上はないんですよ。「装苑賞」を取った人が100人以上いる。その100人の中で、誰が成功したかというと、本当に3人か4人いるかな。そこで頂点立つと、なんか征服したような気になっちゃって。「装苑賞」は将来に行く過程なのに、それを錯覚しちゃうんですよ。そこがもうピークになってしまう。「装苑賞」は、きっかけであって、『えいっ!』って上がるタイミングで、そこから始まりなのに、終わりになっちゃう人が多いんです。 最後に、次の世代への提言を伺った。 コシノ:私は肩書から、“ファッション”を取って、デザイナーとしている。“ファッション”を取るだけで、いろんなデザインができる。ひとつの業種の中で、とらわれないこと。そのためには、異業種の人と付き合うことも大事。狭いファッション業界の中だけでダメ。“業界の人”になってはダメですね。壁を取り払うこと。
【番組概要】 ■番組タイトル:ニッポン放送開局70周年記念『NEXT STAGEへの提言Ⅱ』 ■放送日時:毎週木曜日 20時~21時 ■出演者:毎週週替わり