酒、肉、金、女、女、女!若き日のトランプの悪ふざけ
米陸軍の少佐として、イラク戦争に従軍したブレント・カミングズ。正しいことをおこなうというアメリカ人の理想像を父から教えられて育ったが、そんな彼から見ると、それとは真逆の人物がアメリカ大統領になったことは大きな衝撃だった。ブレントがどうしても許せなかった、トランプの振る舞いとは?※本稿は、デイヴィッド・フィンケル著、古屋美登里訳『アメリカの悪夢』(亜紀書房)の一部を抜粋・編集したものです。 【この記事の画像を見る】 ● 酒、肉、金、女、女、女! 若き日のトランプの悪ふざけ 最初にブレントがドナルド・トランプについて考えるようになったのは、高校時代にニュージャージー州を友人のリッチとアイリーンと3人でドライブしていたときのことだ。 当時の彼の車は古いフォルクスワーゲン・ビートルで、後ろには座席がなかった。それで助手席にはいつもリッチが座り、アイリーンは後ろのフレームに膝を抱えるようにして座り、その状態でブレントは坂の多い田舎道を疾走した。楽しい時間だった。 大きな起伏があるとアイリーンの体が天井まで浮き上がり、そのたびに「スピードを落として!」とアイリーンが叫んでは3人とも大笑いした。ラジオからハワード・スターン(ラジオパーソナリティ、コメディアン)ががなりたてていた。そこにときどきゲストで出演していたのがドナルド・トランプだ。彼が自慢げに話していたのは、ワインとステーキとカジノと、そしてもちろんセックス、数え切れないほどのセックス、いちばんよかったセックスのことだった。 「下品なやつだった」とブレントは言った。「でも、悪ふざけをしてるってことはみんなもわかっていた。俺たちみんな、この悪ふざけに一枚噛んでいた」
ところが、その下品だった男が大統領に選ばれてしまった。 このニュースを聞いてブレントが考えたのは父親のことだった。彼の父親は正しいことをしてきた男だった。セールスマンだった。最初はコピー機を売った。それから保険。採掘装置。そして巧みなセールスパーソンになるためのコツを教える会社を設立した。結婚し、離婚せず、3人の子の父親になった。最初の子がブレントだった。 ● 正しい行いのまま死んだ父 真逆の男が長生きし大統領に 父親はどういうわけかブレントを「ホットロッド」(スピードが出るようにエンジンなどを改造した車のこと)と呼んだ。その呼び名をブレントはとても気に入っていた。 父親は鍵の束を振り回してはじゃらじゃら鳴らした。大人になっても、その音はブレントの耳に残っていた。 一家のルーツはミシシッピ州で、ブレントが8歳のときに北へ移ったが、夏になるたびにミシシッピに戻った。そこに祖父母の農場があり、ブレントはダートバイクに乗ったり池で水切りをしたり仔牛を追いかけたりペットボトルで花火を飛ばしたりして遊んだ。