幼稚園の先生を仰天させた〝いだてん〟ソフトバンク2位の庄子雄大 中学時代には陸上部に入門 古風なほどにストイックな新星
【新人連載・飛翔!2025shニューパワー②】
週に1度の「もっとホークス」。ホークスの将来を担うドラフト指名選手の歩みや横顔を紹介する「飛翔! 2025shニューパワー」の第2回は2位指名の庄子雄大内野手(22)=神奈川大=です。最大の魅力でもある50メートル5秒7の俊足を生んだあるトレーニングや、高い身体能力にとどまらない強靱な精神力を見せた日々など、ホークスと浅からぬ縁を持つ遊撃手のルーツをたどります。(敬称略) ■陸上部でトレーニングも!中学時代の庄子【写真】 中学生の時、陸上部の門をたたいたことがある。野球をやめたわけではない。父幹雄(51)の勧めもあり、横浜市の硬式チーム「中本牧シニア」の練習がない平日だけ加えてもらった。短中距離の選手とともに、野球に生かせる走りのフォームを学んだ。独特とも言えるトレーニングを選択したのは、小さい頃からその足が武器であることが分かっていたからだった。 快足自慢のエピソードには、枚挙にいとまがない。幼稚園のマラソン大会で教諭が幹雄に「めちゃめちゃ足が速いですね」と驚くように言ってきたのが最初だった。小学生になっても当然のようにリレー選手に選ばれ、家族もそこで実力に気づいた。ステージを上げても、その脚力に磨きはかかった。 高校は春夏通算5度の甲子園優勝を誇る強豪の神奈川・横浜高に進んだ。小学生の時から憧れてきた高校。中学2年冬の家族会議で「3年間(試合に)出られないかも」と言われても「それでも行く」と意思は固かった。心配をよそに、庄子は1年秋からレギュラーをつかみ、2年春の甲子園にも先発出場。ひとつ夢をかなえた。ただ、高校の3年間は決して順風満帆ではなかった。 2年春に腰を痛めた。夏の大会に出られないどころか、練習すらできない時期が何カ月も続いた。試合に復帰したのは、秋の新チーム初の練習試合。そこで見せた姿に幹雄は目を丸くした。出塁すると、大きなリードを取り、いきなり盗塁を決めた。けがは完治しているものの、不安があっていいはずだ。そんなそぶりを見せないほど、強い精神力を見せたことを幹雄は鮮明に覚えている。 佐賀学園高、神奈川大、西武でプレーした同大監督の岸川雄二も、才能にほれ込んだ一人だ。コロナ禍の影響で、庄子は高校3年夏を独自大会で終えた。次なる目標をプロ入りに定めた庄子に、岸川は「4年間で絶対プロに入れさせるから」と進学を勧めた。岸川は人気ドラマを引き合いに出し、まな弟子をたたえる。「ストイック。だから昭和だな、と。『不適切にもほどがある』の通りです。彼はぶれなかった」 古風にも見えるほど、誘惑にも負けず一心に練習に励んだ。大学の4年間、体調不良で休むことは決してなかった。たとえ体が重くても。庄子は「自分の底力を見せる。こういうときでもどう結果を出すか、自分に対しての練習だと思った」と語る。苦しいときも、自分の成長を促すと言い聞かせた。 小学6年の時にDeNAのジュニアチームに選ばれ、NPB12球団ジュニアトーナメントでみずほペイペイドーム(当時ヤフオクドーム)のグラウンドに立った。運命に導かれるように10年の時を経てホームグラウンドにする日が来た。スケールの大きい人間になってほしいと名付けられた名の通り、縦横無尽に駆け回る姿はまさに雄大。古くていいものを持った新世代の遊撃手は、勝負の世界に向けて好スタートを切る。(鬼塚淳乃介) ◆庄子 雄大(しょうじ・ゆうだい)2002年10月2日生まれ。横浜市出身。東希望が丘小1年時に軟式の「オール川井少年野球クラブ」で野球を始め、希望が丘中時代は「中本牧シニア」に所属。横浜高では1年時からレギュラーとなり、2年春の甲子園に出場。9番三塁で先発も初戦で明豊高(大分)に敗れた。神奈川大では神奈川大学リーグの通算安打記録を更新した。178センチ、78キロ。右投げ左打ち。背番号25。 【#OTTOソフトバンク情報】
西日本新聞社