ホタテ水着の踊り子? お尻で割り箸折り? 熱海・湯河原・小田原発の大注目バンド「柳家睦とラットボーンズ」とは何者?
柳家 割り箸芸の最後の継承者ですよ(笑)! ふんどしの方々はモノホンのゲイの方たち。サマソニでゲイの神輿をやろうってなった時に20人ぐらい集まった。ただふんどしでマッチョじゃだめ。やっぱり、ならではの体つきってものがあるんだよね。 ――本物志向! SMの女王様や昭和歌謡のようなMCもいるし、まるで怪しいショーのようで、お客さんもこの日だけは常識も忘れようという勢いで熱狂的に踊りますよね。ライブのコンセプトは? 柳家 「日常の中にある非日常」がコンセプトです。結局、世の中にあまりいないような人間が俺の周りにはたくさんいたから「じゃあちょっと来いよ」って誘ってたら、もうパンチパーマだらけ! ライブでも変なヤツが来ますよ。この前はおじいちゃんが女物の格好にTバックで「鞭で打ってもらいたい」って来た(笑)。仕事どうしてるのって聞いたら「年金」って。おい! 俺たちの払った年金、そのTバックになってんのかよ!って。 ■俺は担いでもらってるだけ ――柳家さんはもともとバトル・オブ・ニンジャマンズという人気サイコビリーのバンドのリーダーで、サイコビリー界では"番長"とも呼ばれ崇められていていたとか。そこから今の「芸人一座」みたいなバンド形態への変化は想像がつきません。どのような変遷があったんですか? 柳家 最初はフォークから始めたの。ロカビリーとかサイコビリーにはアコースティックの要素もあるし、ジョニー・キャッシュとかジョー・ストラマーみたいに哀愁を表現したくて。でも結局、お調子モンがやってるから、気が付けばこんなバンドになっちゃった(笑)。 ――最初のメンバーは何人だったんですか? 柳家 4人。ドラムもいなかった。前のバンドが活動停止になって、「若いやつちょっと手伝えよ」みたいなノリで始めただけで、まさかこんな大所帯になるとはね! そこから、ライブハウスでやるには音圧的にやっぱりドラム入れなきゃとか、だんだんと増えていった。ドラムは最初3人いて都合つくやつが出てて、逆に3人みんな来ちゃったこともある。ギターが6人来たこともあったし(笑)。 今は俺を合わせて8人が基本。ゲストによってはトランペットやサックスの「ラットホーンズ」を入れたり、踊り子とか新キャラを誘ったり、だんだん増えてきた。 ――基本的にやりたい放題の番長ノリで誘うんですね! 柳家 「ヒマだろ」って(笑)。昔は番長ノリが過ぎていろんなものがダメになっていったけど、酒をやめてまともになったのもあるし、今はみんなのおかげでこうなっていて、俺は担いでもらってるだけ。担ぎ手とはしっかり連携とってますよ! ■歌謡曲の奥深さから生まれた「レベル歌謡ミュージック」