純烈・酒井一圭 逆境を力に―骨折、下積み、メンバー脱退「諦めない。壁にぶつかっても乗り越え方ある」
4人組歌謡コーラスグループの純烈が、25日に初の単独日本武道館公演を開催する。2007年の結成から17年、グループのプロデュースも手がけるリーダー・酒井一圭(49)がこれまでを総括。転機になった出来事や、武道館公演への思いを語った。来年3月いっぱいで岩永洋昭(44)が卒業し、3人体制となるが、来春以降のビジョンも明かした。(加茂 伸太郎) ピンチはチャンス。ちょっとした発想の転換、アプローチの仕方ひとつで、人生はいくらでもハッピーになる。純烈を見ていると、そんな期待を抱きたくなる。 酒井は「努力してるのに何で報われないんだ!ってヤツ、意外と多いと思うんです。必ずしも努力が報われる世の中じゃない。でも、諦めちゃダメ。壁にぶつかっても、いろいろな乗り越え方があるから。解釈が違うだけで、ものの見え方って変わってくる」と力説する。「(自分たちが)頑張ったから紅白に出られたのか、日本武道館に立てるのかというと、そうじゃない。応援してくれるファンの皆さんのおかげ。純烈の場合、『いかに応援されるべきグループになるか』と、見方を変えてみました」 2007年に結成。3年間の下積み期間を経て、10年に「夢は紅白! 親孝行!」を掲げて「涙の銀座線」でメジャーデビュー。温浴施設での地道な活動がブレイクにつながった。酒井自身は、テレビ朝日系「逆転あばれはっちゃく」(1985年)で5代目・桜間長太郎役に抜てきされ、子役として活動。いったん芸能界を離れたが、94年に活動を再開し、同局系「百獣戦隊ガオレンジャー」(01年)などに出演していた。 グループ結成のきっかけは映画「クラッシャーカズヨシ」(05年)の撮影中に足首を複雑骨折し、医師から「(手術が)うまくいっても歩けないかもしれない」と宣告されたことから。役者生命の危機にひんし、途方に暮れる中、「毎日のように夢に出てきた」のが直立不動で歌う前川清の姿。「歩けなくなっても、前川さんの後ろでコーラスするクールファイブさんになら、なれるかもしれない」というひらめきが、全ての始まりになった。 初期は所属レコード会社が変わるなど、なかなか芽が出なかったが「全然苦労じゃない。売れていないことを楽しんでいたから」と笑う。「逆に、売れている今の方が苦しい時がある。『あばれはっちゃく』の時と似た感覚があって。今だから相手にしてもらえているだけ、というのがどこかにある。ただ、食えているうちが花。ここまでキャリアを積んでこられたので、やれるうちにやれることをやろう!という思いです」 現在は4人組だが、結成時は6人組。16年12月に林田達也さん(42)、19年1月に友井雄亮さん(44)、22年12月に小田井涼平(53)が脱退した。 「どのタイミングでも、メンバーが抜けるのは転機になりますね。達也の時はきつかった。こいつら5人を食わせるんだ、こいつら5人と紅白に行くんだという夢が終わってしまったから。理想が崩れた時点でリーダー失格なんです。1人抜けると、想像以上に心配されるし、『ダメなんじゃない?』という印象をファンに与えてしまう。まして、一番人気があったメンバーでしたからね」 林田さん脱退後のシングル「愛でしばりたい」では、あえてメンバー全員のソロ曲を収録。メンバーが減ったぶん、個々の魅力を発信しよう―という発想の転換だ。「ソロで歌わせて虚勢を張るというかね。『5人でも、4人でも大丈夫!』というメッセージを発信しなきゃいけない。いろいろな出来事を経験してきたので、お手のものというか、そういうのはありますね」 スキャンダルによる友井さんの脱退も大きかった。紅白初出場し、わずか11日後の出来事。「友井の時はここで文春砲かと…。よくもこのタイミングで、と腹が立ちましたよ」。グループの土台が揺らぎかねない事態だが「これを生かすにはどうするべきか。この怒りを力に変えて会見に持っていこう」と、ここでも発想を転換。グループとしての謝罪会見の段取りが決まると、数日間、自宅にこもった。 「YouTubeで研究しましたね。イヤホンをして、ビートたけしさん、逸見政孝さん、ありとあらゆる名記者会見と呼ばれるものを、何度も音だけにして聞き返しました」 会見では厳しい質問も飛んだが、偽りのない真摯(しんし)な姿勢でさらけ出した。「20代だったら格好付けていたかもしれない。純烈は遅咲きで、やっとこさでしょ。失うものはなかったからね。マスコミを敵と思ったことはない。お互い仕事じゃんっていうのがあるから。そっちはそっちで面白おかしくやっていい。でも、こっちも生き残りたいんだわ!っていうね」 来年も1月に「新春純烈公演」(東京・明治座)、2月に「純烈公演」(大阪・新歌舞伎座)と、2か月連続の座長公演が控える。岩永が3月に卒業した後は、新メンバーの補充をせず3人で活動していくが、酒井は、すでに2歩、3歩先の未来を見据えている。 「来年も忙しく活動させてもらいますけど、再来年からは今までの仕事の取り方、運営の仕方を変えたいと思っています。純烈の活動は続くけど、一つ一つの中身を濃くしたい」と説明。「この数年グワーッとやってきて、キャリアハイだと思っている。『純烈』という看板を下げた時、いかに食えるか。今の時期から体力やモチベーション、収益面のシミュレーションをしておきたい。新人の開発や育成を含め、いろいろなことをやっていきたいです」 その上で、武道館公演は大事な試金石になる。「今後の10年を占うと思っています。純烈は、ずっと好きでいてくださるファンの方たちと一緒に向き合いながら歩んでいきたい。目標はBUCK―TICKさん、THE ALFEEさん。そのためには、まだまだ引き出しを増やさなきゃいけない。(音楽人にとって)日本武道館は特別な会場だけど、高齢のマダムが集まったり、3世代で見に来てくれたりする。いつもと変わらない温かい雰囲気を出したいですね」。スーパー銭湯アイドルとしての矜持(きょうじ)を胸に、ステージで輝きを放つ。 〇…酒井は来年50歳になる。「北野武監督の映画に出る、ドラゴンクエストみたいなゲームを作る、死ぬまでにやっておきたいことってまだたくさんある。最近だと、Netflixなど(の有料動画配信)の原案、脚本、プロデュースとか、作り手として世界に仕掛けたいという夢がありますね」と夢を語った。 ◆純烈 2007年結成。現在のメンバーは酒井一圭、白川裕二郎、後上翔太、岩永洋昭。10年に「涙の銀座線」でデビュー。18年NHK紅白歌合戦初出場(6年連続出場中)。21年に明治座で初座長公演、主演映画「スーパー戦闘 純烈ジャー」を上演。3日に「純烈魂1」のアナログLPレコード盤、6日にリメイクアルバム「純烈NOW」をリリース。
報知新聞社