結局すべては「授業」で決まる…保護者と良い関係を築くため中学教師に欠かせない「最も基礎的な力」とは
学級通信に意図的に設けた「しかけ」とその効果
だが、コミュニケーションの機会が授業参観だけ・保護者会だけでは、保護者との接点は増えても、良い関係を築くには至らない。そこで私は「日記」「学級通信」「学年通信」も活用している。 私は多い年で700号余りの学級通信を発行してきた。担任をもたない学年主任を務めていたときも、100から200程度の学年通信を綴っている。 学級通信には学級生活の描写や授業の記録のほか、子どもたちの日記からの抜粋をたくさん掲載するが、それらは「学校生活の様子」や「生徒が考えていること」など、親がなかなか聞けないことが直に表現された貴重な一次情報にほかならない。興味を示さない保護者はいないはずだ。 ときには日記や学級通信に触発された保護者から、手紙が届くこともある。私は許可を得てそういった手紙も後日発行される通信のなかで引用する。手紙には、保護者だけでなく子どもも興味を示す。子どもから反応が返ってきたら、またそれを通信に載せ、保護者の目を惹きそうな記事を増やす。 こんなふうにして、普段から生徒・保護者が〈読みたい!〉と心待ちにするような学級通信をつくりあげていく。加えて、親子間でのコミュニケーションにつながりそうな「しかけ」を、通信のなかに組み込むこともある。 たとえばある年の学年通信では、親子でともに考えるこんな「課題」を出したこともある。 ■■■以下、通信より引用■■■ 次の人は誰でしょう。 6歳で父を失い、3人の兄弟の世話をしながら、働きづめの母を助けるために家庭料理を手がけるようになる。12歳の時、母の再婚をきっかけに家を出てからは、機関車の助手や保険の外交、蒸気船、フェリーのサービスステーションなどの様々な職業を転々としながら30代後半でガソリンスタンドを経営するが、干ばつや大恐慌で倒産。60歳でレストラン事業を始めるが、失敗して多額の借金を抱え込み、社会保険で生計を立てる。62歳で、背水の陣の思いで更に借金に借金を重ね、手元に残ったわずかな資金で再度レストラン事業を模索……。 ■■■引用おわり■■■ 翌日、「お父さんが知っていました!」「お母さんと一緒に考えました」と報告に来てくれた生徒がいた。ここではあえて正解は明かさない。興味のある読者は自分で答えを調べてみていただきたい。 別の日の通信に載せた、次のような課題も好評だった。一部を抜粋する。 ■■■以下、通信より引用■■■ ……当時「味の素」社が主力商品である「味の素」の売り上げアップを狙い、全社員に売り上げ倍増計画のアイディアを提出させました。さて、あなたならこのときどんなアイディアを出しますか。 ■■■引用おわり■■■ 社会で働いた経験のない中学生には難しい課題だ。そこで、 ●さらに多くの消費者の手に届くように取り扱い店の数を倍にする ●大手外食産業と組んで、取扱量を増やす ●「ヘルシー版味の素」や「味付け薄め味の素」などを開発し商品のバリエーションを増やす などの解答例を挙げ、「他人が思いつかないようなアイデアを!」と紙上で呼びかけたところ、翌朝「家に帰ってから親と考えました」という生徒が13名、答えを披露しにきてくれた。 こんなふうに読む価値のある内容を盛り込み、いろいろな工夫を凝らせば、やがて保護者の多くが学級通信を熱心の読むようになる。私は保護者会で「通信が家族の会話のもとになっています。毎日楽しみです」などと声をかけられたことが何度もあるがそれがいい証拠だ。 学級通信を介した、保護者とのこんなコミュニケーションを私は大切にしている。教師の側から発信を続けてつくりあげた、このような関係性は、普段は目に見えなくとも、学校で重大な問題が起こったときに活きてくる。 ある年に勤務していた学校では、こんなことがあった。にわか雨の日、学校にあった傘が30本、なくなったのである。濡れるのを嫌った生徒たちが勝手に持ち出したのは間違いない。立派な「窃盗」だ。指導なしで放っておけば、この学校から30名もの泥棒を出すことになる。 私はすぐにこの事案をありのまま学級通信に書き、生徒たちに猛省をうながすと同時に保護者に謝罪した。「二度とこういうことが起こらない学校にします」という決意表明とともに、再発防止策も提示した。 どのような反応が返ってきたか。保護者からの苦情はまったくなかった。むしろ理解を示し激励の言葉を寄せてくださった方すらいた。そしてその後1年のあいだに、雨の日に傘が盗まれる事件はまったく起こらないようになった。 重大事案が持ち上がったとき、その瞬間から保護者と関係をつくろうとしても、なかなかこうはならない。毎日発行する学級通信で保護者とつながりながら、授業参観や保護者会、面談などで信頼関係を築き続けてきたからこそ、非常時でも応援してもらえるのである。 同著者のこれまでの記事を読む。
長谷川 博之