6年間、失明したことを隠していた…「自分は障害者じゃないと思いたかった」全盲の医師がたどり着いた境地
■医学部5年生から15年越しのカミングアウト 目を患った人のメンタルケアという未踏の分野。そこでなら私にしか語れないことがある、私にしか力になれないアプローチがあるかもしれない。それが私の一生をかけた研究テーマ。 障がいをオープンにしたことで、もう戻れない日々があります。確かに1つの時代が終わってしまった。 それでも終わりの中にはかならず始まりがある。 私の新しい人生は、この38歳の講演から始まったのです。 そこからはこれまでにない経験の連続でした。たくさんの町で講演をし、たくさんの原稿を書き、たくさんの人に出会いました。それは視覚障がいを隠していた頃には知らない幸福でした。 ただし私は、障がいのことや、人に言えない秘密のことを、どんどん開示したほうがよい、と言いたいわけではありません。しないほうがいい場合もあるでしょうし、するにしたって時間はかかって当然です。 私だって、病気の告知を受けた医学部5年生の時から実に15年もかかってのカミングアウトでした。基準値のデータがないのでこれが平均的かは分かりませんが、自分にとって必要な時間だったのは間違いありません。 ■初診から5年たって涙が出てくる人もいる 心の変化には時間がかかります。 じわじわと、じっくりと、時には行ったり来たりもしながら心はゆっくり移ろうもの。辛い現実に直面した時に、すぐにそれを受け入れられないのは当たり前。さらにそのことを誰かに打ち明けるなんて、棒高跳びよりもハードルが高い。 だから一歩ずつでいいのです。 一歩ずつ、一段ずつ踏みしめながら、時にはその場にうずくまりながら、ゆっくりなだらかな変化の階段を上ればいい。 やがてどこかへ辿り着いた時、素直にその景色を眺めればいいのです。 精神科の外来で出会う患者さんの中には、初診してから涙が出るまでに5年かかる人もいます。 10年かかってやっと本当のことが言える人もいます。弱さを見せない生き方を貫く人もいます。それでいいのです。 確かに私は今、「障がいをオープンにして良かったな」と思っています。 しかしそれも「今は」の話です。また何年か経った時に、「やっぱり障がいは人に言うべきではなかった」と、殻に閉じこもることがあるかもしれません。もしそうなったらそうなったで、その時の自分の気持ちも大切にしようと思っています。 心は移ろい続けるもの。思いがけない場所に辿り着いていることもあれば、結局最初と同じ場所に戻っていることもある。でもそれでいい、それがいいのです。