「泣く泣く切った映像や音から、最後に珠玉の言葉が降ってくる」ドキュメンタリー制作でたびたび起きる奇跡
「お作法」その1 紙の台本を廊下に並べる
いつもドキュメンタリーを作る時、どんなことを考えているかをお話しします。自分では「お作法」と言っています。 ニュースでも、原稿を書いて、映像を見ながら「どこを切り抜こうか」と考えて、一つのパッケージにしています。今回の映画版だと80分と長いものになっていますが、短いニュースなら1分、ドキュメンタリー番組だとは24分とか48分です。 僕はパソコンの画面だけで台本を確認することが苦手なんです。何ページにもなってくると、画面にはちょっとしか出ないじゃないですか。紙にプリントすると、何となく「ここの比重がすごく大きいな」とか、「ここが短すぎるんじゃないかな」「出てくるのが早すぎるんじゃないか」とかが、一覧で分かるんです。80分の映画版だと台本は50ページぐらいあったんですけど、廊下に1列ずらっと並べて、半腰になって見ていきました。 その原稿を書く時ですが、まず一気に書き上げます。ただ、着手するまでは受験勉強と同じで、すごく時間がかかるんです。おまけに「追い詰められると本を読む」という悪い癖があって、これもテスト前に漫画を読むのと一緒です。追い詰められた後に「まずい!」と思って、書き出すのですが、一旦始めると13時間くらい続けてやるという感じです。 そこで一気に大きな形ができたら、今度ははさみで切ってそれらを入れ替えてみて、廊下で「どうだろう…」とずっとやっています。実際、ばっさり切らなきゃいけないことがいっぱいあるんです。「もったいないな」とも思うんですが、切ります。本当は、切ったところを落としたくはないんです。そこを、ずっと頭の中に取っておきます。
「お作法」その2 両手で生卵を持つような感覚で
書くのも切るのも、すごくハイテンションになって、アドレナリンが出てくるので、静かに心を収めようと努めています。イメージとしては、生卵を両手に掲げて持つような。あまり力を入れると割れるので、手のひらで優しく持って、落とさないように…。そんなイメージです。 決め打ちでガンガン行くと、大事なものが抜け落ちるので「優しく持って、少し考える」という時間を取っています。 僕たちの仕事の一番根本的なところなんですが、取材したもののうち、使うのはその一部。よくネットでは「切り取る」って批判されますが、それこそが僕らの仕事の本質みたいなところがあります。 だけど、切り落としてしまったものに対する眼差しみたいなものも、同じぐらい大事なんですよね。それが頭にちゃんと残っていると、インタビューなどの音と音の間をつなぐナレーションに、機微な表現がどんどん生きてくるんです。落としたまま忘れると、何か冷たい感じになってくるような気がするので「忘れないように、忘れないように」と思いながら、言葉を紡いでいます。