大低迷…。欧州でまったく輝けなかった日本人選手(1)~(5)満を持して移籍も…。思い通りの活躍は叶わず
今や日本人選手がヨーロッパのクラブに移籍することは珍しいことではなくなった。しかし、全ての選手が海外で輝きを見せるわけではない。チャンスを活かしきれずにJリーグに復帰する選手もいる。今回は大きな期待を背負いながらも欧州クラブで活躍しきれなかった日本人選手を紹介する。※成績は『transfermarkt』を参照。
MF:山口蛍 生年月日:1990年10月6日 主な在籍クラブ:ハノーファー 元日本代表のMF山口蛍にとって、欧州への挑戦は苦い経験となった。セレッソ大阪の育成組織出身の山口は2012シーズンからトップチームで定位置を掴み、翌2013シーズンにJリーグベストイレブンに選出。2014年はFIFAワールドカップに出場と、華々しい実績を積んでいった。 2016年1月、山口は欧州へ新天地を求め、ブンデスリーガで残留争いの渦中にいたハノーファーへ移籍する。しかし、この挑戦は非常に短期間で終わってしまった。苦しいチーム状況の中、複数ポジションで起用されながら出場機会を得ていたが、3月の日本代表戦で鼻骨骨折、左眼窩底骨折の負傷に見舞われてしまう。 残留争いに苦しむハノーファーを救うための助っ人として加入した山口であったが、この怪我によってシーズン残りの試合全てを欠場することとなった。山口はシーズンを終えて2部降格となったクラブを離れて、古巣セレッソへの復帰を決断する。山口が欧州のピッチに立つことができたのは約2ヶ月の間の6試合という残念な結果となってしまった。 Jリーグ復帰後の山口は現在に至るまで国内屈指のMFとして活躍し続けている。山口の市場価値が自己最高額を記録したのもヴィッセル神戸に移籍した2019年のことであった(200万ユーロ/約2.8億円)。山口の欧州挑戦は難しいものとなったが、それを糧にさらなる成長を遂げたとも言えるだろう。
MF:家長昭博 生年月日:1986年6月13日 主な在籍クラブ:マジョルカ 川崎フロンターレに数々の栄光をもたらしてきた家長昭博もかつて欧州に挑戦した日本人選手の1人だ。ガンバ大阪の育成組織出身の家長は高校3年生の時にトップチームとプロ契約を締結した。2010シーズンは期限付き移籍したセレッソ大阪で主力としてプレーし、クラブのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)出場権獲得に貢献。自身もJリーグ優秀選手賞に選出されるなど充実のシーズンを送った。 この活躍を受けて、家長は2011年1月にスペインのマジョルカへ完全移籍を果たした。セレッソの中盤で大きな存在感を発揮していた家長であったが、マジョルカでは苦戦を強いられてしまう。加入初年度の2010/11シーズンこそ途中出場が主でありながらコンスタントに出場機会を得て、14試合出場2ゴール1アシストというまずまずの成績を残したが、2シーズン目に監督交代の憂き目に遭い構想外となってしまった。 2011/12シーズンの出場が第23節までにわずか4試合となってしまった家長は、Kリーグの蔚山現代FCへの期限付き移籍を経て2012年夏に古巣ガンバへの復帰を決断した。2013年夏にマジョルカに帰還するがここでも思うような結果を残すことができず、家長の欧州挑戦は幕を下ろした。しかしその後は川崎で圧倒的なパフォーマンスを発揮し、2018年にはJリーグの最優秀選手賞を受賞している。彼のキャリアはむしろ日本復帰後に大きく花開いたと言えるだろう。