カスハラ対策の根幹は「従業員の安全」、組織トップは金儲けばかり考えず従業員を守れ
それとあいまって、やたら日本の「おもてなし」精神が強調されるようになった。そうこうするうち、企業や店はおもてなし競争をするようになった。 たしかに日本人の接客態度や配慮は世界一かもしれないと思う。しかしそれがいきすぎて、自動車販売店の社員は、客の車が見えなくなるまで頭を下げつづける。ばかばかしいことだが、これをどこかが始めると、うちもやれ、ということで広がる。 居酒屋などの飲食店では、従業員がまるで奴隷かのように、ひざまずいてオーダーをとる。欧米人はそこまで卑屈になるなという。わたしもそう思う。あれは完全に無用だ。 だが、これもある店がはじめると、とたんに広まる。やらない店があると、おまえのところはしないのか、と内心不満をもつ客が出現したりするのだ。 この意味で、クレイマーやカスハラは日本社会がすすんで育てた面がある。かくして、一部の愚か者は自分の気分次第でのさばるようになり、応対側はひたすらかしこまるという図ができあがった。泣く子とごねる客には勝てぬ、とばかりに、多少の無理難題なら引き受けるようになったのである。 ■ 人間として異常であり醜悪である わたしはカスタマーハラスメントの被害に遭ったこともなければ、そのような現場に居合わせたこともない(ちょっとしたクレームの現場ならあるが)。 だが実際に被害に遭っている現場では、相当に深刻な事態であるはずだ。ひどい場合には、場が凍り付いたような不快な空気になるだろう。被害者の就労意欲や日々の生活にも影響しているにちがいない。 カスハラをする人間の心理(煽り運転をする心理も)は、わたしにはまったくわからない。自我の底が浅く、それゆえちょっとしたことで傷つき、爆発することで、存在が転覆することを防いでいるのか。それとも、ただのうっ憤晴らしか。あわよくば金品をただでせしめたいという魂胆なのか。 店側にもミスはある。だがそれに乗じて、怒鳴り散らしたり、土下座を強要(バカの一つ覚えの土下座! )したりするのは、人間として異常であり醜悪である。 怒鳴り散らすと、怒鳴る自分に力を感じて、「怒鳴りハイ」になると想像される。しかしそれは結果である。かれらは怒りの底が浅すぎるように見える。 カスハラを受ける者が、委縮するのは当然である。すこし怒気を含む程度のクレームなら対処もできようが、まさか日常のなかで、チンピラまがいの言動に襲われることになろうとは夢にも思ってもいないからである。不慣れなものだから、対処の仕方もわからない。 それに、相手に抗弁か反論して余計にこじれたりすると、会社(組織)に迷惑がかかるのではないか、と我慢することがある。なぜ我慢しなかったのかと、責任を問われるのもたまったものではない。