全斗煥の護送と尹錫悦の逮捕【コラム】
12・3内乱事態の主犯、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領は25日、共助捜査本部(共助本)の2度目の出頭要求にも応じなかった。検察、警察による要請まで含めると4度目の出頭拒否だ。共助本は尹大統領を逮捕するだろうか。現職大統領が捜査機関に逮捕された例はまだない。朴槿恵(パク・クネ)氏は憲法裁判所で罷免が決定されてから拘束された。尹大統領に適用しうる例が元大統領にある。尹大統領のように捜査機関の出頭要求を拒否しているうちに逮捕された全斗煥(チョン・ドゥファン)氏だ。 全氏は1995年12月3日午前6時ごろ、故郷の慶尚南道陜川(ハプチョン)の5親等の親戚の家にいたところを、ソウル地検(ソウル中央地検)から派遣された捜査官に連行された。同氏は前日、検察が12・12軍事反乱(1979年に全斗煥・盧泰愚が中心となって起こした軍事クーデター)および5・18光州抗争事件の容疑者として出頭を通知したことに対し、ソウル延禧洞(ヨニドン)の自宅前の路地で記者会見を行い、検察の捜査とそれを指示した金泳三(キム・ヨンサム)大統領を強く非難した後に、側近たちと共に故郷へと向かった。 すでに秘密資金事件で拘束されていた盧泰愚(ノ・テウ)氏から全氏の犯行についての供述を引き出した検察は、直ちに裁判所に事前拘束令状を請求した。裁判所がその日午後5時に令状を発行すると、検察は直ちに陜川に9人の捜査官を派遣した。故郷の住民たちの反発などの万が一の騒動に備えて、検察は慶南警察庁から800人あまりの私服警官の派遣を受けた。実際に捜査官たちが全氏の故郷に到着した時、酒に酔った一部の住民たちが一時道を塞いだ。捜査官たちが全氏の寝ている部屋に立ち入った、全氏は下着姿だった。全氏のソウルへの護送過程を取材するメディアの熱気は相当なものだった。全氏の護送車に気づいた市民たちは拍手をしながら歓声をあげた。全氏は逮捕されて4時間あまり後の3日午前10時37分ごろ、安養(アニャン)刑務所に収監された。 全氏の電撃的な逮捕を聞き、各政党も一斉に歓迎声明を発表した。とりわけ、当時与党の民主自由党のソン・ハッキュ報道担当は、「憲政秩序を破壊し、民主主義をじゅうりんしておいても、歴史と国民を恐れない傲慢な態度が招いた自業自得」だと述べた。民自党の後身である「国民の力」が今、尹大統領をかばっているのとは、まったく異なる態度だ。全氏の支持者たちは検察が全氏を明け方に連行したことについて、「元大統領には行き過ぎた仕打ち」だと反発した。当時、ソウル地検特別捜査本部の関係者はハンギョレ新聞にこのように語っている。「この問題で数日間世の中が騒々しくなるよりも、早く終えた方がよいと判断した」。29年前の検察の判断は正確だった。内乱を捜査する共助本が肝に銘じるべき言葉だ。 イ・チュンジェ論説委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )