アルゼンチン代表、背番号10の系譜(2)悲劇すぎる…不遇だらけの超天才…一体何が?
アルゼンチン代表の背番号10といえば、やはりディエゴ・マラドーナだろう。1986年のメキシコワールドカップ優勝を経験したレジェンドは、いまでもカリスマ的な人気を誇る。そして、のちに同じ背番号10を託された選手たちは、結果を求められる重圧とともにマラドーナの幻影とも戦うことを強いられてきた。果たして真の後継者は現れたと言えるのか? 18年ロシア大会までのワールドカップでアルゼンチン代表の「10」のシャツを着た選手たちの系譜を振り返る。
ドイツワールドカップ
背番号10:ファン・ロマン・リケルメ(ビジャレアル) 生年月日:1978年6月24日(当時27歳) 個人成績:5試合出場/0得点3アシスト 監督:ホセ・ペケルマン 戦績:ベスト8 アルゼンチン代表デビューは1997年と早かったが、1998年フランス大会も2002年日韓大会もワールドカップ出場を逃しており、ドイツ大会が27歳にして初めての大舞台だった。そして敬愛するディエゴ・マラドーナと同じ背番号10を与えられて躍動する。 グループリーグ初戦のコートジボワール代表戦でサビオラのゴールをアシストし、6-0で勝利した第2戦のセルビア・モンテネグロ代表戦はアシストこそつかなかったものの、エルナン・クレスポとエステバン・カンビアッソのゴールの起点となった。 そして誕生日に迎えた決勝トーナメント1回戦でもコーナーキックからクレスポのゴールを演出。ドイツ代表に敗れた準々決勝でもアシストを加え、大会最多5アシストを記録した。 ドイツワールドカップ後にキャプテンに任命されたものの、宿敵ブラジル代表に0-3で大敗を喫したことでリケルメに非難が集中し、母親が体調を崩してしまう。それによって代表引退を表明したが、約1年後のコパ・アメリカで復帰した。 2009年にはマラドーナ監督と対立して再び代表引退を表明し、南アフリカワールドカップには出場せず。サッカー史に名を残すファンタジスタながら代表キャリアは輝かしいものではなく、通算51試合に出場して17得点、ワールドカップ出場1回で終わった。
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