元脳外科医が認知症になって知った「発症して失われる力」と、それでも変わらない「大切なもの」
「漢字が書けなくなる」、「数分前の約束も学生時代の思い出も忘れる」...アルツハイマー病とその症状は、今や誰にでも起こりうることであり、決して他人事と断じることはできない。それでも、まさか「脳外科医が若くしてアルツハイマー病に侵される」という皮肉が許されるのだろうか。 【漫画】刑務官が明かす…死刑囚が執行時に「アイマスク」を着用する衝撃の理由 だが、そんな過酷な「運命」に見舞われながらも、悩み、向き合い、望みを見つけたのが東大教授・若井晋とその妻・克子だ。失意のなか東大を辞し、沖縄移住などを経て立ち直るまでを記した『東大教授、若年性アルツハイマーになる』(若井克子著)より、二人の旅路を抜粋してお届けしよう。 『東大教授、若年性アルツハイマーになる』連載第32回 『認知症の人は、なぜ出て行ってしまうことがあるのか?...家族だからこそ理解できた、ウラにある本当の「想い」』より続く
「認知」がうまくいかない
講演の話に戻ると、都村先生の質問は、やがて生活の細部へと移っていきます。 次のような、当事者にしかわからない微妙なことまで晋が語ったのには驚かされました。 都村:例えば日常生活の中で階段のステップを上がられるのがちょっと不安だったり、お箸を持たれるのが(難しい)、というようなことがありますか? 晋:箸は使えます。 都村:お箸は大丈夫。階段のステップはいかがですか? 晋:危ないと思うんで、ゆっくりやります。 都村:きちんともう対処なさっているわけですね、ご自身で。階段などの距離感というのは? 晋:ちょっと違いますね。私が見ている感じと、皆さんが見ている感じが違うんです。(ちょっと考えてから)エイリアン。 都村:「エイリアン」ですか、先生。遠い星から来られたかのような。 そして都村先生は、認知症の人は空間認識が少し違っている、という内容の解説を添えるのですが、私には他にも、思い当たる節がありました。
認知症は記憶障害だけではない
たとえば私と晋が自宅にいるとき、電話が鳴ります。私ならすぐ受話器をつかめますが、晋は、 「どこだ、どこだ」 と言うばかりで、受話器をパッとつかめないことがありました。 また、晋が、 「服、どこへ置いた?」 と尋ねてきたこともありました。 私は「その椅子の上」「そこ」と教えるのですが、なぜか、 「どこだ、どこだ」 となってしまうのです。 記憶も定かではなくなり、 「昨日、どこ行ったっけ?」 「朝、何を食べたっけ?」 とか、そういうことも(ときどきですが)晋から問われることがありました。