驚きの3億4700万円! 奇跡の個体「911 カレラRS 3.0」はかつて日本にあった…たった55台生産されたなかでオリジナル度の高さはピカイチ
ポルシェ界の著名コレクターたちに、大切に保持されてきたことを物語るヒストリー
このほどRMサザビーズ「Monterey 2024」オークションに出品された「グランプリ・ホワイト」のボディに「ミッドナイト」のレザレット(ビニールレザー)内装を組み合わせたカレラRS 3.0は、モータースポーツの荒波に揉まれることなく、穏当で魅力的な生涯を送った1台。ジョン・スターキーの著書『レーシング・ポルシェ』にも記されているように、また当時のポルシェのテストドライバーであったユルゲン・バルトによって証言されているように、当初はポルシェAG所属の「フォアフュールヴァーゲン(Vorführwagen:デモンストレーション用車両)」に指定されていた。 デモカーとしての役目を終えたカレラRS 3.0は、ポルシェ傘下のフランス向け輸入代理店である「ソナート」社に引き渡されたのち、1974年7月14日に最初のオーナーであるシドニー・バトラーによってアメリカに持ち込まれる。 バトラーはこのクルマをボーイング747貨物機に載せてJFK国際空港まで空輸したのち、テネシー州メンフィスの自宅まで運んだ。3年間RSを楽しんだのち、バトラーは1977年12月にこのクルマを手放す。 しかし、ここで運命は面白い展開を見せる。このときカレラRS 3.0を手に入れたのは、バトラーの友人で「ストッダード・インポート・カーズ」の経営者であるチャールズ・ストッダードその人だったのだ。オハイオ州を拠点とするこの会社は、アメリカにおける初期のポルシェ・ディーラーとして重要な存在であり、のちにヴィンテージ・ポルシェのパーツを供給する基礎的なサプライヤーへと発展し、現在も存続している。
1996年から2004年まで日本にあった!
しかも驚くべきことに、ストッダードにとってこのカレラRS 3.0との出会いは、これが初めてではなかった。ストッダードがこの個体に初めて出会ったのは、その数年前、1974 年にドイツでデビューしたこのモデルの助手席に乗り、かのユルゲン・バルトのドライビングによりホッケンハイムリンクをデモ走行した時だったのだ。 1977年の12月19日、ストッダードは自身のディーラーを通じて正式にこのRS 3.0を購入した。この時点で、オドメーターはわずか1万6423kmしか表示していなかった。 ストッダード氏はこの希少なカレラRSをこよなく大切にし、決して悪天候に晒すことなく、几帳面にガレージに保管し、必要に応じてメンテナンスを施した。20年近く所有したのち、1996年11月に日本のコレクターであるA氏にポルシェを売却し、2004年1月にシカゴを拠点とする著名なコレクターに売却されるまで日本国内に保管されていた。 そして、2004年3月に再び米国の地を踏むことになったRS 3.0は、オリジナルのファクトリー仕様の純白のペイントと、ゴールドで強調された「Carrera RS」のスクリプトが美しく映え、ナンバーズマッチの3Lエンジンとトランスミッションもそのまま。極めて高いオリジナル性をキープしていたとのことである。