ゴーギャンが模索したお金を必要としない人生は“タヒチ”にあったのか?
お金を必要としない生き方を模索した結果が「タヒチ」だった
Q:画家になる前のゴーギャンは証券マンでした。だから貨幣的価値についてはよくわかっていたと思うのですが、仲間の画家や画商が語る“売れる”手法に迎合することなく、自身を貫くことができたのはなぜだと思いますか? デルック監督:早くに両親を亡くしたゴーギャンは、金融業を営んでいた後見人の影響で、20歳くらいの時に絵画と出合いました。後見人は、絵画のコレクターでもあったようです。またゴーギャンは、25歳から32歳くらいまで金融関係の仕事についていたので、お金儲けについてもよく知っていました。仕事を辞めたのは金融恐慌という外的な要因ですが、それ以前から彼は趣味で絵を描いていたそうです。初期の作品は1872~74年くらいから存在します。現在では結構、評価の高い作品もあるんですよ。 金融恐慌で急に仕事を辞めざるを得なくなりましたが、ゴーギャンは「お金=幸せ」ではないと思っていました。画家になって表現したいという強い欲求を感じていたし、画家の世界で名を上げたいという気持ちもあったと思います。そしてタヒチに行くまでには、パリやブルターニュに行き、アルルでも描き、と長い長い道のりがありました。実際、彼はタヒチに旅立つまでに、8年くらい家族と離れて暮らし、家族を養ってはいなかったので、お金はさほど重要ではなかったのです。今の世もそうですが、資本主義の中ではとにかくお金、お金。家賃を払う、学費を払う……、とにかくお金に追われる生活です。でも彼はそれを必要としない生き方があると信じ、模索して、近代社会と決別をしたわけです。
Q:絵を描くことに没頭するためにタヒチに赴いたわけですが、ゴーギャンはその地でも港で働き始めます。タヒチのゴーギャンにとって絵を描くとはどういうことだったのか? どのように意図されて描かれましたか? デルック監督:私は、ゴーギャンがタヒチに渡ってからもああいった仕事をしていることで、マオリの文明が西洋文明に押され、弱ってきていたことを描きたいと思いました。近代社会を捨てて行ったつもりが、タヒチにも宗教、経済、社会性、労働の必要性など西洋的な文明が入り込んでいた。タヒチに行きさえすれば理想的な生活が出来ると思ったのに、実際は絵の具を買うにも、キャンバスを買うにもお金が必要でした。野生的な生活を望んでも、果物を取るのも、狩りをするのも決して楽ではなく、絵の具すら買えない。そのために働かざるを得ない、といった矛盾を描いています。