東日本大震災で亡くなった娘に会いに、来日したアメリカ人男性が日本で見たもの #知り続ける
日本を「我が家のよう」と感じていたテイラー
山形空港に到着すると、一行はワゴンタクシーに乗り換え、仙台市内のホテルへ向かった。ホテルは電気や水道こそ復旧しているものの、都市ガスがまだ通じていなかった。フロント前では災害復興に携わる医師や看護師、電力会社やガス会社の技術チームがチェックインの長い列を作っていた。 自分は今、ここで何をしているのだろう──。 アンディーは喧噪の中でふとそんな寂寥感にとらわれた。アメリカでは不動産企業を経営し、広大な森に囲まれた一軒家で暮らしている。すべてがミニチュアのように見える日本の地方都市のビジネスホテルのフロントは、彼の日常とはあまりにかけ離れたものだった。 これが娘の愛した「世界」なのか──。 娘の名はテイラー・アンダーソン。 第1子として生まれたテイラーは、幼少期からあまり手の掛からない子どもだった。夫婦は毎晩、娘が寝る前に熱心に絵本の読み聞かせをした。その影響も大きかったのだろう、テイラーは後に大学でブック・クラブを立ち上げるほど、読書が大好きな少女に育った。 テイラーにとっての転機は初等教育の時期に訪れた。彼女が通っていたミルウッド・スクール(幼稚園から中学2年生に相当)には日本に滞在した経験のある教師が勤務しており、そこで初めて日本語に接した彼女は、やがて日本のマンガやアニメに夢中になった。当時のお気に入りは「となりのトトロ」。教師の指導法がよほど優れていたのだろう、当時13人いた生徒のうち、後に2人が日本へと移住している。 進学したセント・キャサリンズ高校に日本語のクラスはなかったが、テイラーは独学で日本語の勉強を続けた。2004年にバージニア州にあるランドルフ・メーコン大学に合格すると、「日本に行きたい!」とすぐさま担当教官に自らの夢を打ち明けている。 彼女が初めて日本の地を踏んだのは2006年1月、大学が企画した約3週間の「東京の歴史」コースだった。テイラーはお寿司とあんこの美味しさに感激し、その感動を毎日日記にしたためていた。 帰国後は村上春樹の小説に没頭し、夏休みに入るとバージニア・コモンウェルス大学の日本語アカデミーで高校生たちに日本文化を学ぶ喜びを伝えた。そして大学を卒業すると他の仕事には一切応募することなく、2008年8月、日本の子どもたちに英語を教える外国語指導助手として宮城県石巻市に赴任したのだ。 再来日初日の8月4日、彼女はその喜びを次のように日記に書き記している。 〈日本に帰ってきた初日! 我が家に帰ってきたかのように嬉しく、ホッとしている〉 すべては順調に進んでいるはずだった。 それなのに、なぜ……。