「秋が深まる」と言うのに、「冬が深まる」と言わないのはなぜ? 「日本語と季節」の頑固な関係
「秋が深まる」とは言うけれど、「冬が深まる」とは言わない。「夏の扉」はあるけれど、「冬の扉」はない……。共著『日本語界隈』を発表した言語学者の川添愛さんと、お笑いタレントでエッセイストのふかわりょうさんが、季節と日本語の「頑固な関係」をめぐって語り合う。 【写真】「あいうえお」はなぜこの順番なのか? 「言語オタク」が明かす“衝撃の事実
なぜ「深まる」のは秋だけなのか?
ふかわ:季節と日本語の関係についてもお話ししたいんですけど。「深まる」のは秋だけですよね。「冬が深まる」「夏が深まる」は言わないように、こういうところに「日本語は繊細だけど頑固だな」と感じているんです。 川添:ああ、ふかわさんのおっしゃる「頑固」というのはそういうところなんですね。 ふかわ:「秋の気配」は言うけど、「夏の気配」は言わない。「夏の扉」はあるけど、「冬の扉」はない。 川添:たしかに、冬の扉はあんまり開けたくないですね。 ふかわ:オフコースや松田聖子の名曲ゆえの先入観があるせいかもしれませんけど。でも、私たちの感覚として、それぞれの季節と言葉の相性というものが強くある気がするんです。 川添:わかります。たとえば秋って、冬に向かってどんどん沈んでいくイメージがありますよね。「暑い」から「寒い」、「明るい」から「暗い」へ下がっていく感覚。だからこそ「深まる」なのかもしれませんね。 これに対して、冬はすでに底なので、さらに「深まる」要素はないんですよね。「真夏」「真冬」が言えるのは、それぞれ「てっぺん」と「底」だからでしょうね。秋にはてっぺんも底もないから「真秋」とは言わないんでしょうね。
「将軍」という言葉は冬にしかつかない
ふかわ:「秋が深まる」と聞くと、紅葉が広がる光景まで浮かぶんです。季節が深まるって、日本語の表現としてすごく素敵だなと思うんですよね。 深い緑とか山が深いという使い方はありますけど、夏がいくら暑くなっても「深まる」は違和感があるじゃないですか。この頑固さがいいなと思うんです。 春はあたたかい季節への期待感があるからか、「春の足音」という言葉があるわけですけど。とはいえ、春にも扉が似合わない。 川添:いい季節だけど、春には夏ほどの開放感がないということですかね。 ふかわ:ちなみに、三島由紀夫の小説には「浅春」という記述がありました。文豪が使っていれば、なんでも正解にしていいものでもないと思いますが、わりと好きです。 川添:「浅春」かあ。いいですね。春めいてきたけれど、まだ「春が来た」という喜びにどっぷり浸かるほどでもない、って感じですかね。「早春」とはまた違った趣がありますね。 ふかわ:あと「冬将軍」。これは誰が言い出したのか。ナポレオンですかね? 侵攻するのに寒さにやられて敗北したことを由来とする言葉でしょうか? なかなかセンスいいですよね。 でも、これもやはり、「将軍」は冬にしかつかないなと思うんですよ。夏がどんなに暑くてバテたとしても、夏将軍にはならない。将軍に薄着のイメージはないんですよ。鎧や甲冑で。タンクトップではない。見てみたいですけど。 川添:タンクトップだったら、将軍というよりも軍曹っぽいですね。 ふかわ:いまやNHKのニュースでも普通に使いますよね、冬将軍。 川添:『ゲーム・オブ・スローンズ』という海外ドラマでも「冬来たる」という言葉がキーワードになっているんですけど、なんだかおどろおどろしいんですよね。冬にはそういうイメージもありますね。 ふかわ:春将軍、秋将軍、ないですね。やはり将軍は冬しか合わない。これだけ猛暑が続くと、そのうち「夏軍曹」が現れるかもしれないですけど。