降格危機の札幌、例外的だが正しかった戦い方 気迫溢れる1対1に見た“わずかな光明”【コラム】
ペトロヴィッチ監督は新加入の外国人選手を切り札とはなり得ないと判断
試合終了のホイッスルが鳴るまで、途切れることなく声援を送り続けていたサポーターたちの前に立った北海道コンサドーレ札幌の選手たちの表情は、誰もが険しかった。90分間の戦いを終えて突きつけられた現実は厳しく、そして重い。 【実際の映像】崖っぷちの札幌、2000人超えサポーターがアウェーでバス囲む様子 11月9日、低空飛行が続く札幌は、J1の座を来シーズンも守るべく、湘南ベルマーレとのアウェー戦を戦った。 札幌は後半5分に先制を許して苦しい状況となったが、その失点の9分後に駒井善成のヘディングシュートが決まり、最終的に引き分けという結果。しかし、なにがなんでもリーグ順位を上げたい札幌にとって、引き分けは決して満足のいく結果ではなかっただろう。 ただ、サポーターたちの声援の後押しを受けて、J2降格の回避を目指す札幌の選手たちのプレーは気迫に溢れていた。現代サッカーで重要とされている戦術の完成度の差を、強い勝負へのこだわりによって補おうと、札幌は逞しくファイトした。サッカーの試合を構成する最小の単位である局面の勝負に対して、チーム戦術や個人における技術的なことを超越した、戦う気持ちを前面に出したひた向きなプレーで対抗していく。 特にそうした徴候は守備面に強く表れ、大崎玲央を中心としたディフェンダー陣が1対1の勝負で威力を発揮し、一進一退の攻防を作り上げた。攻撃面でも、相手守備の打開におけるパスやドリブルは、戦術的な動きというより、選手たちのその場の判断によるプレーの色合いが強かったように感じられた。現代サッカーにおいて本来なら、こうした個人の能力に依存する戦い方は、あまり褒められたものではない。 ただ、札幌はJ1残留のため、戦い方の定石や美しさにこだわっている状況ではない。強い気持ちを持って臨む、この戦い方はむしろ例外的だが正しかったと言える。 これが1980年代のミッシェル・プラティニやディエゴ・マラドーナが活躍した、1人の特出した能力で勝敗を決められる時代だったら、サッカーはもっと単純だったと思う。しかし、情報化社会となったいまは相手の分析が容易になり、選手たちも科学的に管理され、勝敗はピッチに立つ11人の総合力によって決定する兆候が強い。 そのため組織としての戦い方を武器に、うまくシーズンに入ることができなければ、その修正はチーム全体に及ぶため挽回は難しい。上昇気流に乗れないままシーズンが過ぎてしまった札幌は、状況を好転させるために夏場に思い切った大型補強を行う。大崎、パク・ミンギュ、白井陽斗はチームの右肩下がりの不調を食い止めることになる。 それでも、夏場に加入したほとんどの外国人選手は、ピッチでプレーする姿をあまり見られなかったことが示しているように、彼らは組織の一員として能力を発揮できないと、指揮官ミハイロ・ペトロヴィッチの目には映ったようだ。そして、こうした強い精神面による個人での勝負が要求される特別な状況でも、ペトロヴィッチ監督は外国人選手たちを切り札とはなり得ないと判断した。 この指揮官が、わざわざ補強したにもかかわらず起用するには難しいとした判断は、今後の札幌におけるフロントの強化方針や選手の獲得基準に一石を投じたと言える。 最終的に札幌に待ち受けている結果はまだ分からない。だが、上昇気流に乗れなかったことや、低調な成績に対するフロントの対応など、多くのことを考えさせられるシーズンとなったことは間違いない。 ただ、スポーツのなかでも勝敗が単純に実力差で反映されないサッカーは、なにが起こるか分からない不確定要素を強く孕んでいる。それがサッカーというスポーツの魅力でもある。 札幌がJ1の座を守り切ることは、可能性としては低いがゼロではない。その限りなくわずかな光明を目指し、選手にスタッフ、そしてサポーターが一体になって、残された試合と向き合う価値はまだある。 [著者プロフィール] 徳原隆元(とくはら・たかもと)/1970年東京生まれ。22歳の時からブラジルサッカーを取材。現在も日本国内、海外で“サッカーのある場面”を撮影している。好きな選手はミッシェル・プラティニとパウロ・ロベルト・ファルカン。80年代の単純にサッカーの上手い選手が当たり前のようにピッチで輝けた時代のサッカーが今も好き。日本スポーツプレス協会、国際スポーツプレス協会会員。
徳原隆元 / Takamoto Tokuhara