「ユダヤ人虐殺」という理不尽な現実に命がけで逆らった「2人の英雄」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「ユダヤ人虐殺」という理不尽な現実に命がけでナチスに逆らった英雄の真実 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
命令に反してたくさんの人命を救った二人の英雄
同じナチス党員でも、ちゃんと自分の考えを持ち、それによってユダヤ人を救った人物もいる。オスカー・シンドラー(1908─1974)である。 彼はドイツ占領下のポーランドでドイツ軍の軍需工場を経営する実業家であったが、そこに多くのユダヤ人を労働者として雇い入れた。 シンドラーもナチス党員だからユダヤ人を差し出さねばならない立場にあったのだが、楽天的な遊び人の彼は、当初は経済的な関心から、しかし次第に無力なユダヤ人住民たちをできる限り救済したいと思いを募らせ、ユダヤ人を自身の新しい工場で雇うためのリストを作ったのである。 もちろん、ユダヤ人優遇や規則違反という嫌疑をかけられ、ゲシュタポからたびたび事情聴取を受けた。しかしそれにもめげず、彼はユダヤ人救済のために全財産を注ぎ込むことも厭わなかったのである。 同じナチス党員でも、命令に対して自分はどうすべきなのかを考え、困難があっても自分の信念を貫いたシンドラーの生き方はまことに美しいと思う。真面目な役人が思考停止で凡庸という名の悪をなした一方で、不真面目な遊び人が機転を利かせて抵抗という名の善をなした、という対照も何とも皮肉だ。 『シンドラーのリスト』という映画があるので、やはり機会があれば是非見てほしい。
世界から尊敬される「東洋のシンドラー」
日本にも「東洋のシンドラー」と呼ばれた気骨の外交官がいた。杉原千畝(1900─1986)である。 彼は第二次世界大戦中、日本領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスという都市で、ナチスによって迫害されていた多くのユダヤ人にビザを発給し、彼らの亡命を助けたのである。 当時、日本の外務大臣から各地の在外公館に向けて発せられていた命令では、避難先の国の入国許可を得ていない、また避難先までの旅費を持っていない外国人には、日本通過ビザを発給してはならないとされていた。 しかし、そのような資格を持たず生命の危険に晒されているユダヤ人が大勢存在する事態を目の当たりにしていた杉原は、本国の命令にあえて背き、自分の判断で無資格のユダヤ人たちに力の限りビザ発給を行った。 彼の人道性と勇気によって、多くのユダヤ人が危険の迫るヨーロッパから脱出できたのである。 杉原は、いまでもリトアニアやイスラエルでは尊敬されており、その名を知らぬ者はないといわれる。彼が生まれ育った故郷(岐阜県八百津町)を訪れる外国人も多い。 さらに連載記事<海外のカジノで賭博をしても捕まらないのに、日本だと逮捕される「驚愕の理由」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美