<私の恩人>CMで話題の赤井英和、ボクサー時代の忘れらない恩師
亡くなったのが1988年の2月1日。まったく合わせたわけやないのに、よう考えたら、この記事の更新も2月1日なんですよね。ここでも、ご縁というか、めぐり合わせというか、また感じます…。 エディさんの奥さまが東京の中野で昔からスナックを1人でやってらっしゃいまして、近所の常連さんが集まるアットホームなお店なんですけど、2月1日が命日なので、毎月21日にエディさんと縁のあった人間がそこで集まろうということになったんです。 そうなると、そうそうたる面々が来られるわけです。ガッツ石松先輩、カシアス内藤先輩、田辺清先輩、柴田国明先輩…。そこで、決まって起こるのが「エディさんが一番愛してくれてたのは自分だ!!」という言い合いなんです(笑)。そこでは僕が一番後輩ですから、皆さんがおっしゃてるのを静かに聞いてるんですけど、僕は僕で「ホンマに愛してくださったのはオレや!!」と思ってますけどね(笑)。そうやってみんなが言い合うくらい、深い愛情を注いでくださった方なんです。力いっぱいテニスボールを壁にぶつけたら、それと同じ勢いで返ってくる。人の思いも、そういうもんやと思うんです。大きな愛情を注いでくださった方だからこそ、みんなから愛されたんやと思います。 僕の最後の試合の時も、ずっと一緒にいてくださいました。僕はリングで倒れて、開頭手術を受けて、まったく記憶がないんですけど、エディさんが付き添ってくださってたと。エディさんのお考えとして「勝ったボクサーの周りにはたくさんの人が来るの。でも、負けたボクサーの周りには誰も来ない。だから、僕が横にいるの」というのがあるんです。ボクシングはホンマに紙一重、ちょっとの差で勝ちと負けがつくスポーツなんです。今は僕も近畿大学ボクシング部で監督をやってるんですけど、エディさんの思いを胸に、学生たちと向き合ってます。 現役時代、試合が終わったら、当時の僕の彼女とエディさんと3人で飯食いに行くんです。…そう言うたら、あの頃は、彼女、何人おったかなぁ…。ま、それはよろしいがな(笑)。 ある試合の時は、彼女との飯やなくて、エディさんが僕の実家に来てくださいましてね。ウチのお母ちゃんを見て、言ってくださったんです。「アカイが赤ちゃんの時、ママが抱っこしてくれて、キスしてくれて、アタマなでてくれたのよ。赤井が大きくなって、強くなって、大人になって、そして、ママが歳をとって小さくなった時、アカイが抱っこして、キスして、アタマなでてあげるの。それアカイの仕事よ」と。ボクシングだけやなく、ホンマになんと優しい人なんやと…。それで「お母ちゃん、ありがとう…」言うて抱き上げようとしたら「なんやねん、気色わるい!!」と思いっきりはたかれましたけどね(笑)。 ボクシングに接して、もう40年になります。引退して30年ですわ。エディさんはもう天国に行ってますから、直接の恩返しはできません。だから、自分がもらった恩を次の人に渡していく。それがエディさんへの恩返しになったらエエなぁと思っています。 ■赤井英和(あかい・ひでかず) 1959年8月17日生まれ。大阪市出身。浪速高校1年からボクシングを始め、インターハイ優勝、アジアジュニア選手権優勝などの実績を残す。近畿大学進学後、モスクワオリンピックの有力候補になるものの日本のボイコットのため、 在学中にプロ転向。プロでは12連続KO勝利という日本記録を打ち立て、“浪速のロッキー”として絶大な人気を誇る。 85年に試合中のアクシデントで生死をさまようケガを負い、引退。プロでの戦績は21戦19勝2敗。引退後は俳優として、映画「どついたるねん」、ドラマ「高校教師」「人間・失格~たとえばぼくが死んだら」「半沢直樹」などに出演する。司会を務める朝日放送「ごきげん!ブランニュ」の企画「西口正VS赤井英和 ボクシング対決!」は2月2日放送予定。 ■エディ・タウンゼント 1914年10月4日生まれ。アメリカ・ハワイ州出身。アメリカ人の父と日本人の母との間に生まれる。11歳からボクシングを始め、ハードパンチャーとして活躍。現役を引退後はトレーナーに転身。62年、ハワイ巡業で知り合った力道山に誘われ来日。藤猛、ガッツ石松、井岡弘樹ら6人の世界チャンピオンと赤井英和、カシアス内藤らの名ボクサーを育てる。それまでの常識を覆す論理的な指導方法から、ボクシング関係者から広く尊敬される存在となる。88年2月1日没。享年73。 ■中西正男(なかにし・まさお) 1974年、大阪府生まれ。大学卒業後、デイリースポーツ社に入社。大阪報道部で芸能担当記者となり、演芸、宝塚歌劇団などを取材。2012年9月に同社を退社後、株式会社KOZOクリエイターズに所属し、芸能ジャーナリストに転身。現在、関西の人気番組「おはよう朝日です」などに出演中。