イラン人が「親日」になった理由 なぜアメリカでもイギリスでも中国でもなく、日本人を意識するのか
イスラム体制による独裁的な権威主義国家として知られるイラン。ハマス・イスラエルの衝突を機に緊張の度合いを増す中東情勢を占う上でも重要なプレーヤーだ。にもかかわらず、その実態に関する報道は、日本では極めて少ない。いったいどのような国で、人々はどように生活しているのか。長年、留学や仕事で現地に滞在し、一般社会で暮らしてきた若宮總氏が伝える本当の姿とは? 【写真】イラン人が不思議に思う日本の風習 (*)本稿は『イランの地下世界』(若宮總著、角川新書)の一部を抜粋・再編集したものです。 ■ ペルシア語のことわざに「離れていればこその友情」 「イラン人は、欧米も、中露も、近隣諸国も嫌いなのだとしたら、いったいどこの国が好きなんだ?」 これは本当に、噓偽りなく、主観を排して、客観的に、そして公平無私な立場で言わせてもらうが、答えはズバリ、日本である。 何を隠そう、この私も、日本人が大好きなイラン人たちのおかげで、なんとか今日まで生き永らえることができたようなもので、他の国だったら今ごろ路頭に迷って野垂れ死んでいたかもしれない。 彼らが親日である理由はいろいろあると思うが、要するにイラン人は、イランと付き合いが深かった国のことは、だいたい嫌いなのである。 ペルシア語のことわざに、「離れていればこその友情」(ドゥーリ・オ・ドゥースティ)というのがある。くっつきすぎず、適度に離れていたほうが友情は長続きする。 イランと日本がまさにそれで、両国の地理的・歴史的な距離が、親日感情の背景にあることは間違いない。 もちろん、イランと関わりが薄かった国は日本以外にもたくさんあるわけで、イラン人が日本に惹かれる理由は、これだけではない。
■ 日本にやってきたイラン人労働者が「大の日本びいき」に 古くは、日露戦争での劇的な勝利、焼け野原からの驚異的な戦後復興、そして日本でも小説・映画化された日章丸事件(1953年。石油国有化を断行したイランに対し、英国が経済制裁を科すなか、これを不当とする出光興産が独自にイランへタンカーを派遣した事件)などが、イラン人の称賛を集めてきた。 イスラム革命前は、イランに滞在する日本企業の駐在員も多く、彼らの誠実でフレンドリーな人柄に接したことで日本を好きになったというイラン人も少なくない。 また、90年代くらいまでは、イランのほとんどの家庭には日本製の家電製品があり、何十年と使っても壊れない性能のよさも、日本のイメージ向上に貢献していたようだ。 さらに、黒澤明や小津安二郎の映画作品、NHKドラマ『おしん』、それにいくつかの日本製子供向けアニメなどがイランでテレビ放映されていたことも、日本人の暮らしや文化を紹介するうえで、大きな役割を果たした。 だが、何といっても決定的だったのは、1980年代の終わりごろから日本に大挙してやって来たイラン人労働者の存在だろう。人によっては10年以上日本で働き、われわれの言語や習慣、そして文化を余すところなく吸収した。 幸いなことに、こうしたイラン人たちの多くが、帰国するころには大の日本びいきになっていた。そして、自らの友人や家族、親戚たちにも、日本人の規律正しさや礼節を重んじる心などについて、その後何年、いや何十年にわたり、繰り返し述懐してくれたのである。 こうして、イランにおける親日の裾野は大きく広がることになったが、今ではあまりに日本が過大評価されているので、私などは気恥ずかしい思いをすることもある。