日本フェンシングが躍動 太田雄貴氏も輩出の名門・龍谷大平安”顧問は指導せず” 金メダルに貢献したチーム最年少・飯村選手は「負けず嫌い」 恩師語る
連日のメダルラッシュに沸くパリ五輪。日本が快進撃を見せた競技の1つがフェンシングです。 4日に行われたフェンシング男子フルーレ団体の決勝では、イタリアにリードされる苦しい展開の中、チーム最年少の20歳でアンカーを務めた飯村一輝選手が逆転し、日本に同種目で初の金メダルをもたらしました。 金メダル獲得に大きく貢献した飯村選手の活躍に、母校では恩師から喜びの声が聞かれました。
「本当に信じられない喜び」 興奮冷めやらぬ様子でそう語ったのは、京都市の龍谷大平安高校でフェンシング部の顧問を務める石代吉史さんです。 付属中学に入学してから高校卒業までの6年間、体育館で汗を流す飯村選手の姿を毎日見てきました。 「一輝はやっぱり負けず嫌い。入ってきた中学1年生の時はなかなか勝てず、それでも相手に向かっていく姿勢は当時からあった」 パリで日本の優勝を決める一突きを放った教え子に、かつての姿が重なりました。
北京・ロンドン五輪の2大会連続で銀メダルを獲得した太田雄貴さんを輩出した名門、龍谷大平安高校フェンシング部では顧問は技術的な指導はしていません。 生徒にフェンシングの技術を教える役割は、同部の卒業生たちが担っています。 週末になると卒業生たちが同校の体育館に集まり、後輩たちを指導しています。 50年以上の歴史があるフェンシング部の伝統です。 飯村選手も時折、母校の体育館を訪れては後輩に剣の技術を伝えてきました。 遠くパリで歓喜の中心にいた先輩の姿を見たフェンシング部の後輩たちは今、金メダリストから手ほどきを受ける日を心待ちにしています。