日本は犬の地獄!? 英紙の糾弾から国際問題に発展した動物愛護の歴史
日本のみならず、世界的に今一度その重要性を認識し、多くの課題に直面している「動物愛護」。日本で最初に動物愛護法が成立するまでの道のりと、かつて日本が外国から糾弾され、国際問題にまで発展した事件について取り上げる。 ■「日本は動物愛護後進国」というのは本当なのか? 動物愛護活動は今、一種のライフスタイルになっている。動物に関するバラエティ番組では保護活動が熱心に取り上げられるし、この分野で活躍するタレントも多い。一時は年間60万頭と言われた殺処分も、この10年で激減した。 一方で、虐待や多頭飼育崩壊が後を絶たない。また殺処分が減った裏で、ブリーダーから専門業者が引き取って遺棄したり、自治体が愛護団体に持ち込む例もある。「殺処分ゼロ」という、数字だけを追求した結果だろう。 「日本は動物愛護後進国」というのは愛護団体の常套句(じょうとうく)となっているが、実際のところはどうなのだろうか。遡れば江戸時代、犬は単独で「伊勢参り」を果たすなど、野良犬も共同体の一員として生きていた。 幕末に日英修好通商条約締結のため、エルギン卿使節団が来日した時のこと。その一員だったローレンス・オリファントは、「飼い主はいなくても充分に餌をもらい、外国人に猛然と吠えかかる日本の犬は、今まで私が見た中で、最も見事な街の犬である」と書き残している。 それでも虐待はあった。日本における最初の動物愛護団体は、明治35年(1902)に設立された「動物虐待防止会」である(のちに「動物愛護会」と改称)。設立した広井辰太郎は、馬車を轢く馬に対する御者の扱いに心を痛めて、愛護活動に乗り出した。 大正6年(1917)に創刊された日本初の総合愛犬雑誌『犬の雑誌』には、動物愛護についての真剣な論考が掲載されている。例えば文学博士の本田増次郎は、こう述べている。 よく、アメリカあたりへ行ってきた人が表面だけ見て、動物を虐待するのは我が国だけだと言う。しかし、虐待をする人間はどの国にもいる。虐待防止法が早くできたのは、それだけひどいからだ。だが、その動物愛護活動は立派なものである。一方、日本人はひどい虐待をしない代わりに、けがをして苦しんでいる動物を見ても、助けようとせずに傍観している。これは消極的虐待とでも言うべきものだ」と。文化の違いを考慮に入れた冷静な意見を述べているのだ。 やがて昭和に入って軍国主義に拍車がかかり、太平洋戦争に突入すると、動物愛護どころか犬猫の撲殺まで行われることになる。そんな中、昭和17年(1942)8月に東京の一角で、在野の動物学者・平岩米吉が主宰する『動物文学』が、動物愛護に関する座談会を開いた。昭和17年という時代背景を考えると、驚くべきことである。 出席者は司会が平岩で、他に動物愛護会創立者の広井と、外国人主導の日本人道会代表で獣医師の渡辺和一郎、同会会員の高橋和子、そして動物文学会会員の清水良雄だった。そこでも、横浜で外国人と一緒に愛護活動をしてきた高橋が「日本は動物愛護後進国」と主張した。 それに対し、平岩や高橋が「一概にそうは言えない」と反論している。特に安楽死に対する見解が真っ二つに分かれた。平岩らは、生殺与奪の権を人間が握る西洋式愛護論に違和感を表明した。平岩らの見解からは、西洋とは違う日本ならではの愛護思想の芽吹きが感じられる。 しかし、敗戦後は軍国主義に対する反省から、戦前の日本が全て否定され、近代思想も何もない闇の世界だったかのような誤解が広まった。動物愛護論にせよ犬の訓練法にせよ、万事が欧米先進国賛美一色になったのである。 そして、動物愛護後進国という認識を決定づけたのが、昭和43年(1968)のイギリスの大衆紙『ザ・ピープル』による連載だった。大学の医学部で実験用に使われる犬の集め方や取り扱いについて取材し、3回にわたって写真付きの記事を掲載したのである。 そこには「日本は犬の地獄である」と書かれていた。たとえば関西のある施設には、保健所を回って集めてきた多くの不用犬や捕獲犬が、トラックで運び込まれていた。それらの犬は狭い檻に押し込められ、下の方の犬はすでに圧死していたのである。 実は日本でも愛護関係者が、以前からこれを問題視していた。33年(1957)12月号に、動物福祉協会の堀口岩が「こんな哀れな犬もいる 実験台の犬の運命」と題する記事を書いている。それは、大学病院で生体実験に使われていた犬が、どんなひどい扱いを受けているか訴えるものだった。筆者は国会図書館でこの記事を読んだが、目を覆いたくなるような悲惨な写真が掲載されていた。 当時は、関係者も犬種の保存や業界の確立に忙しく、日本全体も高度成長の真っ最中で環境破壊に注目が集まり、動物愛護は後回しになっていた。だがイギリスで大騒ぎになるにつれ、次第に日本でも報道されるようになる。『ザ・ピープル』の日本批判キャンペーンは、2年近く続いた。 やがて、在日イギリス大使からも「友好関係の妨げになりかねない」と通告され、国会でも取り上げられる大問題になったのである。そこで厚生省(現厚生労働省)もやっと腰を上げ、各自治体に「抑留犬などの処分にあたっては、動物愛護の観点を考慮し、改善について特段のご配慮を願いたい」という通達を出した。 こうした経過を経て法律制定を求める声が高まり、昭和48年(1973)、ついに動物愛護法が成立したのである。広井辰太郎が動物虐待防止協会を設立してから、70年もの月日が経過していた。ここで日本はやっと後進国から脱皮し、動物愛護先進国へ向かって歩み出したことになる。 しかしその後も、殺処分の多さや悪徳ブリーダーの存在などがたびたび問題になり、愛護関係者から「後進国だ」と繰り返し批判され続ける。だが実は、これらは動物愛護先進国と言われるイギリスやドイツでも頭の痛い、万国共通の問題なのだ。 もちろん動物警察(アニマルポリス)などの進んだ対策が存在するのは確かだが、日本人が考えるようなユートピアではない。そもそも彼我(ひが)にはもともと文化の違いがあり、一概には比較できない。日本の一部の愛護関係者が、あまりにも殺処分数だけを問題視するために、引き取り業者や悪徳保護団体が生まれてきたという面もある。 確かに日本は行政の対応が遅れているし、愛護法改正もなかなか進まない。だが、日本社会全体が動物愛護後進国かどうかは微妙なところだ。日本が犬に過剰な改良をしてこなかったのは、特筆に値する。いずれにせよ、単なる欧米の猿真似でない動物愛護国家を目指したいものだ。
川西玲子