「そんなにメダル、メダル言うんだったら、自分で泳いでみればいい」 超ド級の「問題発言」を発した女性アスリートの本心
「感動をありがとう」への違和感
数少ない擁護派は人気コラムニストのナンシー関さんだった。彼女は雑誌「ナンバー」誌上で次のように述べている。 「千葉すず、嫌われてるらしいではないか。どう転んだって好かれるのがオリンピック選手である。思い返してみてほしいが、かつて嫌われたオリンピック選手がいたか(中略)。 ちょっとやそっとの事は美談に変換される。オリンピックはそれほどの浄化作用を有しているのだ。絶対正義だから。そんな中、千葉すずは叩かれている。よっぽどの事である。(中略) 千葉すずが受け入れられなかった理由は、視聴者(本来はもちろん観戦者であるが)が勝手につくった『感動をありがとう』に着地するはずの物語に乗ってくれなかったからである。感動という快楽を享受というより貪(むさぼ)るためにつくった物語に、千葉すずは収まってくれなかったのだ。(中略) 要するに『私のステキなアトランタ物語を邪魔するなんて許せない。せっかくキモチよかったのに、キーッ』ということである。(注・千葉すずは)そんなチンケな物語に乗ってやる必要などこれっぽちも無い」 メディアや視聴者の勝手な予定調和的「感動ストーリー」に協力なんかしなくていい、とナンシーさんはいうのだ。四半世紀も前のコラムながら、その指摘は今でもそのまま通じるものだろう。
千葉さんの肉声
千葉さん自身は当時の騒動をどう捉えていたのか。騒動から5年後、発表した著書『すず』(生島淳氏との共著/写真・藤田孝夫)には、彼女の本心が語られている。 「いまでも、同じことを言う。間違いない。メダルを獲るのは、私なんです。期待するのも楽しむのも結構。でも、その期待を、私に求めて、それで結果が悪い時にいろいろ言うのは、やめて欲しいし、筋違いです。そんなにメダル欲しいなら、自分でやったらええねん。自分でやってみたらええ、っていうのは、ひょっとして、あなたには出来ないから、黙ってなさい、というように受け取られてるのかもしれないけど、それは違う。 メダル、メダルいうんやったら、自分で泳いで獲ればいい。どんなにつらいか大変か、分かるから。泳げるものなら、泳いでみい、ということ」 アトランタ五輪の直後には、メダル獲得がかなわなかったことから、「オリンピックを楽しみたい」という大会前のコメントまで蒸し返され、批判の対象となっていた。これについては次のように語っている。 「楽しみたいっていうのはですね、水泳の合宿というのをご覧になれば分かると思うんですが、本当に辛いものなんです。私が何もしないで速いと思ったら大間違いです。練習するから、速いんです。オリンピックとなったら、限界まで追い込まないといけないし、もし合宿とかが楽しくなかったら、それはそれは辛いことになるんです」 千葉さんの問題提起の効果もあっただろうか、今日ではメダルを獲れないことを責めるような論調はほとんど見られなくなってきた。一方でナンシーさんが指摘した、「感動をありがとう」ストーリーから逸脱した者への目は依然として厳しい。