「大大阪」はなぜ衰退したのか? 過去の経験から私たちが学べること
戦時期の統制などで失われた経済的自立性
「大大阪」に象徴される戦前大阪の経済発展は「工都」と「商都」の好循環に支えられていた。 機械工業集積の形成は谷町機械商街、新町・立売堀機械工具商街、溶接材料商社の活動に支えられていた。戦前の大阪経済は帝国的経済圏という大きな枠組みの中で、近隣諸県、西日本一円、さらに東アジアの各地域から集まった多様な人材に支えられて日本最大規模の産業集積を形成・展開していった。 東アジアの中の大阪は他地域との太い物流、人的交流を内実とする開放性、産業・商業集積の展開、多様な工業教育機関、国立・公立の試験研究機関などが織りなす中小企業育成・技術向上のための社会的ネットワークに担保された経済的自立性を特徴としていた。 戦時期における繊維産業の縮小、軍需生産の拡大、官僚統制の深化、資源配分上の重点主義が大阪経済の「地盤低下」をもたらした。「大東亜共栄圏」構想は日本を中心とした位階的経済構造を強権的に生み出そうとする試みであり、「大大阪」を支えた開放性と自立性を掘り崩すものであった。
「大大阪」時代の経験から問い直すべきこと
最後に、「大大阪」の時代の経験からいまわれわれは何を学ぶことができるのであろうか。第1に人材育成の問題である。企業内教育の低迷が指摘されて久しいが、いま職業教育、実業教育のあり方が問われるべきである。 「大大阪」は多様な工業教育を提供し、そこを修了した人びとにそれに相応しいポストを用意することに腐心していた。1936年の全国の中等学校(中学校、高等女学校、実業学校など)進学率は21%、50年の高校進学率は43%であり、高度経済成長が高校全入を実現した。機会の平等と多様性の確保をともに手放さない方策をいま一度考える必要がある。 第2に帝国的経済圏という枠組みの下で、戦前の大阪経済は東アジアとの濃密な交流を実現していた。帝国的経済圏が崩壊して70年以上の歳月が流れた。21世紀の新しい状況の中でアジアにおいていかなる政治経済的枠組みをつくり、開放性と自立性を高めるために何をすべきなのか、「大大阪」の時代から学ぶことは多い。 第3に「大大阪」の時代は公設試験研究機関が活発な活動を展開した。いま中小企業に不足する資源は何なのか。不足資源を補うために、産業・商業集積、公設試験研究機関、教育機関がどのように連携しなければいけないのか。役に立つことの内容を吟味しつつ、「役に立つ教育」のあり方を長期的視点から検討することが求められている。 ---------- 沢井実(日本経済史、日本経営史) 1978年国際基督教大学教養学部卒業、1983年東京大学大学院経済学研究科第二種博士課程単位取得退学、1998年大阪大学博士(経済学)取得 東京大学社会科学研究所助手、北星学園大学経済学部専任講師、北星学園大学経済学部助教授、大阪大学経済学部助教授、マールブルグ大学Japan-Zentrum客員教授、EHESS(パリ)客員教授、大阪大学大学院経済学研究科教授、2016年から南山大学経営学部教授 主な著作物:『近代日本の研究開発体制』(2012年、名古屋大学出版会)、『近代大阪の産業発展』(2013年、有斐閣)、『マザーマシンの夢』(2013年、名古屋大学出版会)、Economic Activities Under the Japanese Colonial Empire, 2016, Springer Nature(編著)、『日本の技能形成』(2016年、名古屋大学出版会)、『見えない産業』(2017年、名古屋大学出版会)