108歳女性「息子を井戸に沈めた」壮絶な子育て 障がいがある娘に「自分でできることは自分で」
あのときも寒くて、雪が降っていました。30センチくらい積もっていた橋の上で息子は正座をしてひたすら謝まり、「二度とこんなことはしません!」と何度も言いました。 「本当に、悪いことをした、ずるいことをしたと思うのね?」と念を押すと、「はい、心の底から思っています」。 わたしが特別厳しく叱ったのは、いけないことをしてごまかそうとする、言い訳をしたときでしょうか。息子は、水を汲んできてくれたり、家のこともよくやって助けてくれるいい子でしたけど、何か悪いことをしたときには厳しく厳しく、今で言う「体罰」のようなことをやりました。「父親の役目もしなくてはならない」と思っていたので、このような極端な叱り方をしました。
■障がいがある娘にも「自分でできることは自分で」 娘には障がいがありましたが、わたしも忙しかったので、「自分でできることはできる限り自分でやること」をルールとしました。あの時代、障がいがある子のための教育制度はまだ整っていなくて、「無理に学校へ来なくてもいい」というような風潮だったんですよ。ただ本人には「学校に行って勉強したい」という強い気持ちがあったので、直接、小学校の教頭先生にお願いに行きました。でも「先生の目に入らないところでいじめられたりしたら、止めることができないから」と、その場で断られました。
「勉強したい」という娘のために、わたしはまず、「いろはかるた」を買いました。かるたで遊びながら文字を覚えさせようと思ったんです。それから、絵本なども少しずつ買ったりもらったりして集めては読ませて、漢字はふりがなの付いた本を何度も何度も読み聞かせしているうちに、だんだんと覚えてくれました。 算数は、かくれんぼをしている子どもたちの中に交ぜてもらって、鬼の隣にいて数の数え方を聞かせて覚えさせました。足し算と引き算は、お使いに行かせてお店でお釣りを勘定させて、少しずつ慣らしていきました。暮らしの中で、思いつくままの教育でしたけれど、何より、充子ががんばったので身についていきました。