なぜ、あのザハ案は安藤忠雄さんをはじめとする審査委員に選ばれたのか?―国広 ジョージ『教養としての西洋建築』
世界70カ国を訪れ、世界で「建築文化」を講義している、建築家で国士舘大学名誉教授の国広ジョージさんが、「教養」という視点から建築の「読み方」を語った書籍『教養としての西洋建築』を出版。国広さんはこの本の中で、「なぜ私たちに建築という教養が必要なのか」、その理由をこう述べます。 「建築という教養が広まれば、大きな権力や資金力を持つ人たちも低レベルな意思決定はできません。おかしな建物をつくれば、世間から批判を受け、「無教養な指導者」として軽蔑されるでしょう。みんなが納得する公共建築やオフィスビルなどを建設するには、彼らも建築への理解を深める必要があります。専門家だけでなく、一般の人々が建築を「教養」として身につけ、建築の良し悪しを語り合えるような社会にしたい。それを願って、僕はこの本を書きました。」 今回、この本の中から「はじめに」を抜粋してお届けします。 ◆あのザハ案が意味していたことは? 建築が読めると、時代が読める あなたは、「建築」を見て泣いたり笑ったりしたことがあるでしょうか? 誰にとっても身近な存在だからこそ、ふだんはいちいち建築に関心を向けないという面もあるでしょう。建築は、人間生活の基本である「衣・食・住」のひとつですが、衣食については毎日「今日は何を着ようか」「今夜は何を食べようか」などと真剣に考えるのに対して、「今日はどの建築物に入ろうか」などと考える人はまずいません。自ら建築を選ぶのは、家を建てたり、引っ越し先を考えたりするときぐらい。そういう意味で、建築は「代わり映えしない日常風景の一部」になりがちです。 でも、たとえば旅先で観光名所の歴史的な建築物を前にして、「すごいな」「きれいだな」などと感動した経験は誰にでもあるでしょう。また、これから歴史に刻まれることになりそうな新しいビッグ・プロジェクトも、世間では広く関心を持たれます。 近年では、2020年の東京オリンピック・パラリンピックのメイン会場として計画された新しい国立競技場の国際コンペが大きな話題になりました。結果的には莫大な建設費がかかることが問題となって撤回されましたが、最初に選ばれたザハ・ハディドの斬新なデザイン案は、ふだん建築に興味のない人たちも巻き込んで、賛否両論が巻き起こりました。それこそ映画やドラマではよく起こる現象ですが、建築にも、人々のそういう感性を刺激する面があるということです。 もっとも、あのザハのデザイン案が何を意味していたのか、なぜそれが安藤忠雄さんをはじめとする審査委員によって選ばれたのか──といったことを理解していた人は、当時そう多くはなかったでしょう。 もちろん、直観的に「かっこいい」「奇抜すぎて馴染めない」といった感想を持つことも大事です。しかしもっと深く理解したほうが建築を楽しむことができますし、そういう人が増えれば、莫大な国家予算を投じるプロジェクトに関する議論も、より意義のあるものになるのではないでしょうか。 そういう建築物は、一過性のものではありません。長く社会に残り、人々に影響を与え続けます。未来への責任を果たすためには、単にコストの都合や人々の好き嫌いだけで決めるのではなく、その建築が人類社会に対して持つ意味まで熟慮してつくり上げなければいけません。 ◇ 豊かな建築が、社会を豊かにする 建築史で語られるのは、世界史の教科書にも出てくる神殿や教会のような巨大建築物ばかりではありません。個人の邸宅や商業施設などが、建築史の中で重要な意味を持っていることもあります。 また、建築は建築家の考えだけでできあがるものではありません。ザハ案もそうだったように、その時代の政治や経済、あるいは支配者や権力者の存在にも大きく左右されます。王権や宗教的権威が表現された建築もあれば、自由と民主主義を背景にした建築もある。ですから、その歴史を学ぶことで建築を「読む」力を身につければ、建築物を通して時代の変化や社会のあり方そのものを「読む」こともできるようになるでしょう。そこからは、ビジネスに役立つヒントも得られるかもしれません。 歴史的な意義を持っているのは、国家がつくる国立競技場のような巨大建築物ばかりではありません。多くの人にとって取るに足らない日常風景の一部である大手ハウスメーカーの建て売り住宅なども、その源流は建築史の中に見出すことができます。 それが歴史の中でどう位置づけられるのかを知れば、観光名所に行かなくても、自分たちが建築史という大きな流れの中に生きていることが実感できるでしょう。退屈だった風景が、これまでとはまったく違う新鮮なものに見えるようになると思います。 建築という営みは、建築家と社会とのあいだで成り立つコミュニケーションにほかなりません。だから、それを見て泣いたり笑ったりすることもできる。誰にでも身近な存在でありながら、そうやって人々の心に何かを訴えかけられるからこそ、建築には社会や時代を変える力があると僕は思っています。 でも、建築の力は建築家や建築業界だけで支えられるものではありません。音楽や絵画などの芸術はアーティスト個人のアイデアで新しいものを生み出せますが、建築は実用に供するものなので、それを買ったり使ったりする人々の理解が不可欠です。国家規模のビッグ・プロジェクトになれば、膨大な公金を投入することになるのですから、建築家の自己満足だけでは何も生まれません。 そういう意味で、建築の未来はこの社会で暮らす人たちみんなの思いに左右されます。 だから僕は、建築に興味を持ち、理解し、そして楽しめる人を少しでも増やしたい。そのために、この本を書こうと思いました。 建築が発するメッセージを読み取ることで、あなたの人生はより豊かなものになるでしょう。ビジネスの視点も啓ける。そういう人が増えれば、建築の未来もより豊かになると僕は信じています。そして、豊かな建築は社会を豊かにする。この本が、そんな良い流れを生むきっかけになってくれたとしたら、こんなにうれしいことはありません。 ※本稿は『教養としての西洋建築』「はじめに」より一部を抜粋編集して作成 【目次】 はじめに 建築が読めると、時代が読める 序章 「美」を求め続けた西洋建築 第1章 石の時代から中世まで 第2章 近世 ルネサンス、マニエリスム、バロック、ロココ 第3章 産業革命がもたらした大変化 第4章 19世紀末 米国の台頭とアール・ヌーヴォー 第5章 モダニズムの巨匠たち 第6章 大恐慌から第2次世界大戦まで アールデコ・ロシア構成主義・イタリア未来派 第7章 戦後アメリカを彩った異才たち 第8章 日本のモダニズム 終章 ポストモダン、脱構築主義、そして未来へ 【著者プロフィール】 建築家。国士舘⼤学名誉教授。清華⼤学客員教授(北京)。京都美術⼯芸⼤学客員教授。⼀級建築⼠事務所(株)ティーライフ環境ラボ取締役会⻑。アメリカ建築家協会フェロー(FAIA)。⽇本建築家協会フェロー(FJIA)。国際建築家連合(UIA)評議員。1951年東京⽣まれの⽇系三世。三菱財閥本家で創設者岩崎彌太郎の⽞孫。カリフォルニア⼤学バークレー校 卒業。ハーバード⼤学Graduate School of Design修了。その後、サンフランシスコ、ロサンゼルスの設計事務所で修⾏した後、1982年にロスアンゼルスにて、George Kunihiro Architectを設⽴。1987年にニューヨークに拠点を移し、⽇本とアメリカに数々のプロジェクトを⼿がける。1997年東京に拠点を移し、1998年より国⼠舘⼤学で教鞭をとり、2003年より同⼤学教授。1998年-2000年には東京大学工学研究科の博士課程に在籍。その後、2019年まで同大学生産技術研究所研究員。2011年からは中国の清華⼤学客員教授も務める。また、2020年より京都美術⼯芸⼤学客員教授。これまで世界70カ国あまりを訪問し、各地で建築⽂化に関する講演を⾏なうとともに、国内外で国際コンペ審査員を務める。2011-2012年にはアジア建築家評議会(ARCASIA)会⻑を務め、アジアにおける住環境、都市空間の設計に寄与する建築界のリーダーシップを執る。2023年には、建築界の最上部組織である国際建築家連合(UIA)においてアジア地区を代表する評議員に選出される。任期は2026年まで。専⾨は建築意匠論、アジアにおける近代⽂化遺産および現代建築の研究。近年の研究は「過疎化とコミュニティ再⽣」、「廃棄物の有機資源化」など。2014年より「⾐⾷住⽂化」を包括的にプロデュースするティーライフ環境ラボを共同主宰。本書は著者初めての一般書。 [書き手]国広ジョージ [書籍情報]『教養としての西洋建築』 著者:国広 ジョージ / 出版社:祥伝社 / 発売日:2024年05月1日 / ISBN:4396618204
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