日本サッカーの進化で「中心となったのは田嶋幸三さん」。柱谷哲二が“ドーハの悲劇”以後を語る
「育成システムから。ライセンス制度をしっかり確立させた」
いずれも元日本代表の松木安太郎氏、都並敏史氏、柱谷哲二氏、北澤豪氏が、前園真聖氏のYouTubeチャンネルに出演し、日本サッカーの成長について語った。 【動画】ドーハ組が日本サッカーの成長を語り合う 4人は、“ドーハの悲劇”で1994年のアメリカ・ワールドカップ出場を逃したアジア最終予選を述懐。当時、ハンス・オフト監督の采配に対してコーチ陣が進言できなかったという。 松木氏は「(意見)する人は、あそこに置かなかった時代かもしれない」とし、都並氏は「当時のコーチの意識だと、違う意見を言うという感じではない。今は普通。言わないとダメなコーチぐらいの世界だから」と指摘する。 また柱谷氏は「全て経験が足りない。そういうところもあるのではないか。現場の監督、コーチ、選手。サッカー協会もそうだし」と語り、当時からの進化に見解を示す。 「これじゃいけないという経験を積んで、サッカー協会も動いて。経験があるからこその次のステップになっていく。アジアで、いち早くステップアップしていったのは日本だと思う。だから、一気にグーッと上って行けたと思う。 育成システムから、その時だけでなく、もっと下から育てていかないとワールドカップには出られない。中心となったのは(現日本サッカー協会会長の田嶋)幸三さんかな。ライセンス制度をしっかり確立させた」 日本は98年のフランス大会でワールドカップに初出場。以降も4年に一度の祭典には出続けている。 構成●サッカーダイジェストWeb編集部