当選者はイタリアの工場見学招待旅行付!? 「エンツオの形見」と評された最期のスーパーカー 「フェラーリ F40」が偉大過ぎて言葉にできない
スーパーカー=フェラーリ。そのイメージを持つ人はクルマ好きじゃない人でも多いと思う。そんなフェラーリを作ったのが「エンツオ フェラーリ」さん。いまだ世界にその名を轟かせるブランドの頂点には「エンツオの形見」と形容されるフェラーリ F40がいた。 【画像ギャラリー】バブル期の日本では億単位での売買も!!性能も超スーパーなら価格も超スーパーだったフェラーリ F40を是非(7枚) 文・画像/いのうえ・こーいち
■「もう一度、レースに勝てる……」
その日、1987年7月21日、89歳を迎えていたエンツオによって、そのクルマは発表された。 「かつてのフェラーリがそうであったように、サーキットまで走って行ってそのままレースに出られるようなロードカーをもう一度つくれないだろうか、と提案した」 1年あまりののち、つまりその日にフェラーリF40が発表されたのである。考えてみれば、もう35年も前のことになるのだが、あのときの世間のざわめき、注目度の大きさはいまでも忘れることができないほどだ。 当初400台の限定生産か、などといわれて購入は抽選、当選者はイタリアの工場見学招待旅行付、などと話題は尽きることがなかった。結局は、あまりの反響の大きさから1200台以上も生産されるという「隠れた大ヒット」にもなり、それがまた話題になったりした。 そうはいっても振り返ってみれば、その後フェラーリF50、エンツオ……とつづく端緒ともなり、自動車史上でもエポックメイキングな存在になったのはまちがいのないところだし、いまだ忘れることのできない不朽のスーパースポーツになっている。
■V8、ツウィン・ターボで478PS
いまでこそ驚くに値しない数字かもしれないけれど、その当時の478PSは圧倒的、であった。最高速度として発表された324km/hも、路上で普通に経験できる数字ではなかった。 エンジンはV8気筒DOHC32ヴァルヴに2基のターボ・チャージャを装着して、478PSを得る。排気量も2936ccとして、ターボ付ということから1.7を掛けて5L以下のクラスに収まる、としっかりレースを意識していた。 もちろんエンジンばかりでなく、シャシー周りからすべてがひとつの目的、エンツオの提案に沿ったものであった。 カーボン・ファイバーによるキャビン部分を中心に前後を鋼管スペース・フレームで構成したシャシーは、フェラーリが長くF1で培ってきた経験、ノウハウが存分に盛り込まれていた。 桁外れの価格でもフェラーリF40を欲した幸福なオーナーたちは、そうしたF1の技術に触れたい、という気持ちが少なからずあった、という。