第1次大戦で天国から地獄 「アラビア太郎」の山っ気あふれる青年時代 山下太郎(上)
日本初の「日の丸油田」を開発した「アラビア石油」。この会社を設立し、油田を掘り当てたのが大正から昭和にかけて活躍した実業家の山下太郎です。「満州」「アラビア」など実業にまつわるキーワードのほかに、「山師」「怪物」のような異名も持つ山下は、その後の日本経済界に影響を与える大物たちとの人脈に恵まれました。ブローカー業務からオブラートの事業化、第1次世界大戦の好景気で大もうけからの転落人生――。浮き沈みの激しかった山下の前半生を市場経済研究所の鍋島高明さんが解説します。 3回連載「投資家の美学」山下太郎編の1回目です。
乱世型の勝負師、オブラートの事業化も
山下太郎ほど、さまざまな異名を持つ経済人も少ないだろう。同時代を生きた山下汽船社長の山下太郎がいたこともあって、本名で呼ばれることはほとんどなかった。 「満州太郎」「アラビア太郎」「山師太郎」「政商」「黒幕」「昭和の天一坊」「バッタ屋」「一発屋」「大ボラ太郎」「怪物」「プレゼント魔」……異称の数だけ山下の人間としての丈の大きさと行動半径の広さを物語っている。 「山師、大いに結構、いまこの世に一番大事なことは山師の根性ではないだろうか」――山下語録の中で最も世に喧伝された一節である。
山下はクラーク博士の「青年よ、大志を抱け」の一言に魅せられ、北の大地を踏んだ。札幌農学校(現北海道大学)での成績は振るわず、いつもビリだったと伝えられているが、明治42(1909)年に卒業すると、東京深川・佐賀町で「山下商会」を創業、ブローカー業務を始める。 電話1台、机2脚で鉄や肥料の仲買業をやると、結構商売になった。その傍ら、オブラートの事業化「山元オブラート」を始めるのだから「怪物」と呼ばれるにふさわしい。社名は山下の「山」とパートナー白石元治郎(後に日本鋼管社長)の「元」から「山元」と命名した。 ロシア革命の最中、若者数名に現金を背負わせてウラジオストクに渡らせ、缶詰を買い付け、巨利をつかむ。そしてアメリカからブリキを輸入して大もうけするのもそのころだ。 折から「第1次世界大戦」景気で商品相場が未曾有の大波乱を展開していた。それは乱世型の勝負師、山下太郎には格好の舞台装置であった。