【独占告白】梅宮アンナからメッセージ「私、7月31日に乳がん治療を始めました」
とはいえ、すぐにがんを受け入れたわけではなくて。ずっとずっと泣いていました
そんな私も、告知を受けてから今日までの約1か月、ずっと元気だったわけではありません。やはり、がんという重い事実を受容するには段階がありました。 まず、告知から10日くらいはぼーっとしていました。そして、10日目くらいからでしょうか、突如として泣き始めたんです。 私、死んじゃうのかな。がんだって。死ぬよね。どうしよう。……抗がん剤? 髪の毛なくなっちゃうの? どうしよう。 ここで猛然とネットで検索を始めました。そして、「え、こんなふうに髪の毛がなくなるんだ」と強烈なショックを受けて。やっぱり治療やめようかな、このまま運命を受け止めようかなと思いました。毎日毎日泣いて、もうスーパーで玉ねぎを見ていてもスーっと涙が流れちゃうんです。起きて泣いて、寝て泣いて。 このころ、アメリカに住む友人に「私、がんなんだけど、もうこのまま治療もしなくていいかもって思ってて」と打ち明けたんです。そうしたら、その友人が猛然と怒り始めました。「ねえ、わかってる? あなた、百々果(ももか)ちゃんのお母さんだよね? 21歳で愛する母親が治療をあきらめて死んでいくのに直面する気持ちって考えたことある?」って。 いま60代の彼女は、長きにわたるがん闘病者です。彼女の言葉は誰よりも重い。このひとことでがらりと私の脳が切り変わったんです。 いえ、もしまだ百々果が小さければ、いっしょに暮らしていれば、こんなことを言われるまでもなく、私はまっすぐに彼女のために生きようとしたでしょう。でも、いま百々果はアメリカにいて、距離ができています。彼女が家を離れたことがあまりに悲しくて、私はなるべく彼女のことを忘れようと努力を続けて、やっと彼女の不在に慣れたところでした。そのせいで忘れていた大切なことを、パッと思い出せたのです。だめだ、私死んでいられない、がんばらなきゃ。 そこからすべてが動きだしました。誰に電話しよう、誰に伝えよう。自分の身の回りの大事だと思う人みんなに言わなきゃ、私はいまこうなっていますと教えなきゃ。同情してほしい、救ってほしいのではなくて、「私の未来がどうなるかわからない状況なのです、力を貸してください」って、急いでお伝えしなきゃって。 激動でした。いろいろな人に来る日も来る日もメールを送って、治療のための生活の準備をてきぱき整えて、隙間の時間で乳がんの書籍を何冊も読んでひたすら勉強して。自分が抗がん剤治療を始めたら必要になるものも調べて、手配しました。ウィッグ、まつげケア、眉毛のアート……何があるんだろう、どこに行けばいいんだろうって、調べながらすぐ動きました。ちなみに、ウィッグはさっそくお気に入りを手に入れています。私、JJの頃からこういうアイテムを探し出すのが大好きで、大得意でした。みなさんにもお店やアイテムを紹介していきたいなと思っています。