「軍隊は市民を守ってくれない」11歳の少年は〝地獄巡り〟を味わった 70年以上語らなかった沖縄戦、地上戦闘の凄惨
食糧が底をつき、飢えに苦しむ大城さん家族は、ついに「飢え死にするよりは捕虜になろう」と相談し合った。 ところが、ちょうどそこへ敗残兵がやってきた。階級章から、上等兵とみられるその男の目は血走っている。家族の方に目を据えたまま、こう言い放った。 「おまえら沖縄人は皆スパイだ。捕虜に出て行くときは、後ろから手りゅう弾を投げて、撃ち殺してやるから覚えておれ」 脅しを受けても、家族の意志は変わらない。「こんな敗残兵に殺されてたまるか」。男の姿が見えなくなるのを確かめてから、全員で米軍陣地に向かい、捕虜になった。 大城さんは当時を思い出すたびに怒りを覚えるという。「何が『皆スパイ』か。皆ですよ。沖縄人が何をスパイしたか」 ▽「軍隊は住民を守らなかった」 やっと生き延びることができたと安心したのもつかの間、母が栄養失調とマラリアで亡くなった。「こんな地獄の激戦を生き延びたのに」と、悔しくてたまらなかった。
大城さんは戦後、教員となったが、最近まで自分の経験を話すことはなかった。理由は「あの体験を思い出すのはつらい。それに短い時間では語れないから」。 ただ、後世に伝えることは必要だと思っていた。子どもや孫たちに手記を印刷して渡し、話もしたのは数年前のことだ。 沖縄戦では、県民の4人に1人が亡くなった。本土決戦の準備に時間を稼ぐための捨て石とされ、「鉄の暴風」と呼ばれた米軍のすさまじい砲撃の中で、住民は行く当てもないまま逃げ惑うしかなかった。 終戦から78年を迎え、沖縄など南西諸島では、台湾有事などを念頭に防衛力強化が進む。大城さんは「戦争につながるあらゆるものをつくってはいけない」と考えている。壮絶な経験を語ってくれた後で、言葉を詰まらせ、こう語った。 「軍隊は国を守るどころか、沖縄すら守れなかった。住民をスパイ扱いし、邪魔者として扱った。戦争の準備はしてはいけない。軍隊は住民を守るためではなく、戦うためにあるのだから」