「軍隊は市民を守ってくれない」11歳の少年は〝地獄巡り〟を味わった 70年以上語らなかった沖縄戦、地上戦闘の凄惨
母は遺体に向かって手を合わせ、こう言った。「戦争の世の中だから、かえってあなたは幸せ者かもしれない。どうか見守ってくれ」 ▽夫婦は父に「私たちを殺してほしい」と懇願した 逃げても逃げても、米軍は目前に迫ってくる。摩文仁ではその後も猛烈な迫撃砲に襲われたが、どうにか生き延びた。 母は乾パンを取り出して家族に全員に配り、静かに告げた。 「こんな戦世(いくさゆ)だから、弾に当たってけがをして、重荷になった場合、見捨てられることがあるかもしれない。そのときには誰も…誰も恨まないようにしよう」 娘を亡くし、いつ自分たちも死ぬかもしれないという極限状態。大城さんには、この時の母の気持ちがよく分かったという。「こう考えるのは当然のことだった。この地獄の中を誰かが生き残れるように」 家族が最後にたどり着いたのは、摩文仁近くの絶壁「ギーザバンタ」の海岸だった。 はだしのまま、ギザギザとした岩肌を歩き続けるのは大変な苦痛だった。海辺にはいくつも岩穴があり、中をのぞくと同じような避難民がたくさんいた。住民に紛れた日本兵の姿も少なくなかった。軍服を捨て、沖縄の住民のような着物姿になっている。
人影が少ない場所を探し、一家が身を寄せ合うように入ったのは、自然壕というより鍾乳洞だった。持ってきた食糧も既に食べ尽くし、みそをなめて飢えをしのいだ。大城さんは避難の間、家族で何かを話した記憶がないという。会話をする余裕もなく、逃げるだけで精いっぱいだった。 あるとき、家族がいる鍾乳洞の近くに妊娠した女性がやってきた。女性によると、夫は食糧を探しに出たという。ただ、周囲に隠れている人々もみんな飢え、食糧になりそうなものは探し尽くされている。食べられるものがあるはずがない。 しばらくしてやってきた夫は、大城さんの父に小銃を渡して頼んだ。 「僕たち2人を銃で殺してください」 父は「命を大事にしなさい」と諭したが、どうしても聞かない。家族はその場を離れ、しばらくして戻ってくると、夫婦はいなくなっていたという。 ▽「おまえら沖縄人は全員スパイ」。米兵より恐ろしかった敗残兵 大城さんは日本という国に激しく幻滅していた。本土から来た日本兵は、沖縄の住民を守ろうとしない。沖縄とその住民たちは、本土決戦の時間稼ぎのための捨て石でしかなかった。