「軍隊は市民を守ってくれない」11歳の少年は〝地獄巡り〟を味わった 70年以上語らなかった沖縄戦、地上戦闘の凄惨
富里の岩穴に戻った家族は、逃げる方向を西に変えた。畑のあぜ道を通り、父の友人がいるという「新城」にたどり着く。しかし、訪ねていったその家はもぬけの殻。既に避難した後だった。その家でしばらく休んでいると、凄まじい音がし、迫撃砲弾が近くに落ちた。この場所も危険だと思い、一家は再び出発。南西の方向に向かって歩いた。 ▽爆撃の中、「日本兵」に壕を追い出され 避難を続ける途中では、道路の至るところで日本兵や住民の無残な遺体が野ざらしになっていた。悪臭が鼻を突く。遺体から目を離すことができずに見つめていると、母に「置き去りにされたいか」としかられたという。 そのころから、いわゆる日本軍の敗残兵の姿が目立つようになった。所属部隊を離れ、1人でうろついているからすぐに分かる。ある時、一家が壕に隠れていると、1人の日本兵が現れて告げた。「この壕は日本軍が使うから、すぐ出て行くように」 軍が使うのではなく、ただ自分が入りたいだけということは、子どもだった大城さんにも分かった。爆撃が迫り、このままここにいても危ないかもしれない。家族は仕方なく壕を離れた。
その後も避難は困難を極めた。米軍に狙われるのを避けるため、家族はできるだけ人が少ない場所で、少人数での行動を心がけたという。人間がたくさんいると、見つけた米軍機が砲弾を落としてくるからだ。あまりのつらさや恐怖に、大城さんはこう思っていた。 「死んでもいいという気持ちだった。どうせ死ぬならば苦しむより、吹き飛ばされて死ぬほうがましだとさえ思った」 ▽姉は「キビが食べたい」と言って… 食糧も少なくなってきたころ、摩文仁近くの大通りでサトウキビ畑のそばを通った。すると、姉の菊さん=当時(18)=が思わずつぶやいた。「キビが、食べたい…」。それを聞いた母は怒った。「おまえはここをどこだと思っているんだ」 ただ、しばらくすると菊さんはよろけだし、座り込むように倒れた。両親が駆け寄って介抱していると、突然、「ダダダダ」と機関銃の音。弾が足元の地面に突き刺さった。家族は菊さんにかまう余裕もなくなり、クモの子を散らすように南国植物のアダンの茂みに逃げ込んだ。しばらくして銃撃がやみ、両親が様子を見に行くと菊さんは既に息絶えていた。