津久井やまゆり園の事件から8年、「自分らしく生きる」知的障害者の自立生活と支える人々 #令和の人権
「ともに生きる」ために
東京都目黒区。東急東横線の祐天寺駅と学芸大学駅の中間にあるNPO法人「はちくりうす」の副理事長、櫻原雅人さん(60)が、無着邦彦さん(61)と関わり始めたのは40年以上も前にさかのぼる。
重度の自閉症がある無着さんは1年間の就学猶予を経て、地域の小・中学校の普通学級に通い、その後、都立の定時制高校に進学した。一方、櫻原さんは、地域で障害のある子どももない子どもも一緒に遊ぶ子ども会の活動に参加しており、そこで当時20歳で定時制高校4年生だった無着さんと出会った。 無着さんが28歳のとき、自宅で大暴れして家じゅうのものを壊してしまう出来事が起きる。それまで無着さんを普通学級に通わせるなど、地域で生きていくことにこだわってきた母もさすがに参ってしまい、施設入所を口にするようになる。しかし、無着さんの周囲から「よく考えたら、20代後半の若者が親と一緒にずっと暮らしている環境自体が不自然なのでは? まずは親から離れてみたらどうだろう」という意見が出て、1カ月間、無着さんが週2回通っていた障害者も健常者も一緒に過ごすことができる場所を使って合宿形式で、試験的に親から離れてみると、大暴れがピタッと止まった。 そして、1996年、無着さんが33歳になる年に、シェアハウスで自立生活を始めた。以来、30年近く、櫻原さんは現在に至るまで無着さんの自立生活に伴走し続けている。それだけでなく、はちくりうすは、身体と知的の重複障害のある女性2人と重度の自閉症がある女性1人の計3人が共同で生活するのをサポートするなど、知的障害のある人の自立生活を数多く支えている。
「28年間の自立生活の中で、無着さんは『生きる力』というのをすごく身につけていったし、僕らもそれに合わせて成長させてもらった。無着さんがいて、今の僕がある」と語る櫻原さんだが、重度訪問介護という制度ができて、事業として自立生活支援に取り組む人たちとの温度差を感じることもあるという。 「僕らの世代までは『ともに生きる』と言い続けてきたけど、次の世代にもそのことを継承していけるかというと、なかなか現実的には難しいだろうなあと思う。ただ、僕自身は、当事者と生きるのはライフワーク。これからも『ともに生きる』」