能登半島地震で長引く避難生活 暮らし再建へ…岐路に立つ人々【バンキシャ!】
日テレNEWS NNN
石川県では、能登半島地震の影響で今もなお1万人を超える人が避難生活を続けています。バンキシャ!が輪島市で訪ねたのはあるこども園。ここでは職員の家族や付近の住民など15人がともに避難生活をしていました。地震発生からまもなく1か月。どう暮らしを再建するかそれぞれが岐路に立っていました。 ◇ ◇ ◇ 27日、石川県・輪島市。倒壊した建物の奥に見えてきたのは、明かりのついた、こども園。この「和光幼稚園」は、地震当日から避難所になった。ここには園の職員やその家族、近所の人など、15人が身を寄せている。園長の藤山壱史さんも避難している1人だ。 部屋から見えたのは…藤山園長の自宅。 和光幼稚園・藤山壱史園長 「もう住むことができないので、こちらで生活しています」 別の部屋には、親子が避難していた。来月からは、離ればなれになるという。 板谷亮平さん(39) 「学校がいつ(再開)になるかわからない状態。金沢の方に子供ら2人と嫁さんは行って、自分はまだこっちで仕事がある」 ──お仕事は? 板谷亮平さん(39) 「大工です」 「できることがあるのに、離れて行くのも心苦しい」 大工として街の復興に貢献したいと、1人輪島市に残ることを決意したという。 長女(8) 「金沢の学校行ったら、友達2人いたから」 ──ちょっと安心? 長女(8) 「うん」 ──パパと離れちゃうと… 長女(8) 「さみしいけど、電話とかできるから」 それでも、「はい、抱っこ」と長女が手を伸ばすと、板谷さんは長女を抱きかかえて「抱っこって言われたら、ずっとしたいな」と話した。 このこども園におよそ30年務めているという九内雅美さん。地震当日から夫と避難している。 和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん 「きのう金沢に行っていたんです」 ──何しに? 和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん 「みなし住宅の契約」 金沢市に部屋を借りるという。その理由は―。 和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん 「今は(金沢に)行くと、ホテルに泊まったり、友達の家に泊めてもらってお風呂入ったり、洗濯したりするけど、ずっと繰り返すわけにはいかない」 金沢に行くのは休日のみ。輪島市には仕事のため残るという。 取材を続けていると… 和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん 「多分、うちの子たちだ」 「こんにちは。遊びに来た?」 男性 「様子を見に」 やって来たのは、地震前ここに通っていた園児とその両親。いまは市内の別の施設に通っているという。 和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん 「こうやって退屈やしって、遊びに来る子たちがいる」 地震からまもなく1か月。九内さんがここで仕事を続けると、決意したワケは。 和光幼稚園主幹保育教諭・九内雅美さん 「保護者さんたち世代の人たちが、これから立て直していく街だと思う。その人たちが帰ってこられるようにするには、お子さんをお預かりする場所がないとお仕事できない。(園の再会が)できればいいなと思っています」 大きな被害を受けた伝統工芸は…。「輪島塗」を販売する岡垣祐吾さん(43)は、地震後、事務所内にあった輪島塗の漆器などをここに集めたという。 岡垣祐吾さん(43) 「元はコップだったんです」 完成するまで半年ほどかかる高級品がいくつも割れていた。 店も職人も被災し、物流網が回復するメドもたっていない。 岡垣祐吾さん(43) 「箱屋さんも倒壊したので、中の台紙も箱に合っていないけど、今あるもので取り合わせて」 箸の注文が入ると、台紙などは在庫があるもので対応しているという。 岡垣祐吾さん(43) 「まだ物流が来ていないので、(富山県)高岡市にお風呂に行くので、そのときに発送しようと思っています」 厳しい状況でも営業を続ける理由は。 岡垣祐吾さん(43) 「仕事場を失った職人さんも多いので、その方たち含めて今までと同じようにはできない。早く製造再開できるようにして、輪島塗をまたつなげていきたい」 (1月28日放送『真相報道バンキシャ!』より)