JR北海道の「札沼線」(学園都市線)で、非電化ローカル線時代の記憶をたどりながら全駅で下車する旅
新琴似を出るとレールは地上に降りて太平着。その次の百合が原ともども、86年に臨時乗降場として誕生し、国鉄がJRになった87年4月に駅に昇格した。両駅とも跨線橋のある相対式ホームに、小さな駅舎がついていた。駅の周辺を散策すると、あらかじめ雪を積み上げるスペースを確保した広い車道に広い歩道、戸建て住宅の灯油タンク、シャッター付き車庫、そして昭和50年代から普及した、玄関をガラスで覆う「玄関フード」。“寒冷地仕様”の住宅地の光景は、初めて来たのにものすごく懐かしかった。 次の篠路で、ようやく「記憶の中の札沼線」に巡り合った。昭和レトロ感あふれる駅舎は、開業当時のものかどうかは分からないが、見覚えがある。昔の北海道の駅はどこもこんな感じだった気がする。76年5月23日の入場券が残っている。こちらは切符の中央に赤い「小」の字があり、はっきり「小児10円」と書いてあった。 簡素な駅舎に自動改札機は場違いな印象だったが、チェーンを引いて頭上のタンクから水を流すトイレを久しぶりに見た。このあたりにも再開発、高架化の計画があるといい、昔ながらの駅舎がいつまで生きながらえるかどうか。
次の拓北も知らない駅と思ったら、67年12月に「東篠路」として開業、95年3月に現駅名に改称していた。駅舎も外壁がレンガ調のシンプルな造り。篠路が「昭和」の北海道の駅のスタンダードなら、拓北はその「平成版」か。駅前には北海道ではおなじみのコンビニ「セイコーマート」があった。 その先は「あいの里」の地名が付いた駅が続く。まずはあいの里教育大。駅から徒歩20分のところにある北海道教育大学札幌校が駅名の由来だ。同校はこの駅が開業(86年11月)した翌春に現在地に移転、もともとの最寄り駅だった札幌市電の「教育大学前」は、その後大学跡地に中央図書館が移転したことで「中央図書館前」になっている。駅舎は正面の三角屋根と大時計が誇らしげで、駅前の花壇のラベンダーが北海道らしい雰囲気を醸しだしていた。ここから先、沿線は郊外の住宅地から田園風景に変わってゆく。 次のあいの里公園も、改名歴のある駅だった。アイヌ語に由来する「釜谷臼(かまやうす)」(58年開業)がオリジナルの駅名。現在の駅は、あいの里教育大駅の開業に伴って東に360メートル移転した場所にあり、95年3月から近くの公園にちなんで今の名称になった。駅舎は赤レンガに丸いドーム屋根があるユニークなスタイル。ここまでが札幌市内の駅だ。