小西康陽が語る65歳の現在地 歌うこと、変わり続けること、驚くほど変わらないこと
時を経て、遠いところまで来た姿
―3曲目の「衛星中継」もドラムスとコントラバスとチェロという編成で始まりますよね。途中からピアノやギターも控えめに入ってきますが、基本はドラムス&ストリングス。小西康陽名義でどういう音楽をやるんだろうと思って聴き始めたら、イントロダクション的な2曲に続いて、この「衛星中継」が出てきて、これは攻めたアレンジだなと思いました。オリジナルとの距離も絶妙なストレンジ・ミュージック。それが小西さんのヴォーカルにすごく合っている。 小西:嬉しい。ありがとうございます。チコ・ハミルトン・クインテットの特徴的なサウンドを使用するのに一番ピッタリだったのが「衛星中継」なんですよ。 ―ヴォーカルも前作とは違うところに到達した感が。 小西:そうですね。ライヴでは自分ではちゃんと歌えてたと思えなくて、ピッチ下げた方が良いかとかいろいろ考えたんですけれど、レコーディングでは歌えた。こういう自分の憧れるジャズ・シンガーみたいな感じのも頑張れば行けるんだと思った。 ―生々しさと深みがあって、すごく言葉が入ってくる歌声です。 小西:ここまで褒めるのは怪しい。 ―いやいやいや。それでアルバムはシングズ・ピチカート・ファイヴ的な内容で進んでいくじゃないですか。でも、さっき言ったようにコード感が希薄で、オリジナルから遠いところに来ているものが多い。シンガー・ソングライターのレコードって、例えばキャロル・キングだったら、作曲家だった彼女のデモが良いって評判があって、じゃあ、そのソングライターの書いた時の原型を聴きたいというので作られたところがあると思うんですよ。でも、そういうのとは全く違う作り方ですよね。 小西:そうか。うん。 ―小西康陽のシンガー・ソングライター・アルバムへの期待としては、デモをそのまま聴きたいというのもあるんですよ。作者のファースト・ヴァージョンって聴きたいじゃないですか。でも、僕はつきあい長いけれど、実は小西くんのデモって、一回も聴いたことない。曲を提出する時にどういう形で渡しているのか、知らないままです。 小西:一時期は割とギター弾いたデモが多かったですね。あるいは譜面で渡したり。 ―オケまで作ってということは少なかった? 小西:あんまりしなかったな。 ―リズミックな曲も? 小西:リズミックな曲はいきなりスタジオ行って。 ―マニピュレイターと作る。 小西:そうそう。 ―僕はスクーターズの「かなしいうわさ」をミックスしましたけれど、あれもデモは聴いてないんです。オリジナルのリズム・トラックがあるなら聴きたかった。 小西:あれはもうスクーターズありきのアレンジを僕の仕事場で、マニピュレイターの人とちゃんと作りましたね。 ―例えば、ロネッツの「Be My Baby」(1963年)の作者のエリー・グリーニッチがソロ・アルバム(1973年)で歌ってる「Be My Baby」は三拍子なんですよね。彼女のオリジナルは三拍子で、それをフィル・スペクターが作り変えたのか、それとも作者が後年、ひとひねりしたのがあの三拍子ヴァージョンなのか、いまだに分からないんだけれど。 小西:どちらもあると思いますね。 ―時を経て、作者が歌うって、そういう謎かけみたいなところもあるじゃないですか。原型なのか、それとも遠いところまで来た姿なのか。 小西:今回のアルバムでは「そして今でも」なんかは自分でも遠くまで来たなと思いますね。 ―『カップルズ』の曲ですよね。佐々木麻美子さんと高浪敬太郎さんのデュエットで歌われていた。今回、小西さん自身の歌で聴いたら、こんなに悲しい曲だったのかと思いました。この頃から、こんな悲しい歌ばかり書いていたのかと。 小西:そうか。その頃からずっと同じことを歌ってんだよな。 ―それが裸になったのが今回のアルバムという気がします。今まで歌ってもらってきたシンガーの人たちについて、自分で歌ったことで気づいたことはありますか? 小西:いやもう感謝しかないですよ。こんな難しい曲だったんだって思って、その反省も大きいし。ブレスするタイミングを忘れてますねっていう曲が多過ぎて。でも田島(貴男)くんなどは上手かったから誤魔化せたのか。すごいなって。