【光る君へ】天皇に愛されたのに、没落… 中宮・定子の「悲しすぎる最期」 せつない遺書の内容とは
NHK大河ドラマ『光る君へ』では、藤原定子(高畑充希)のため、清少納言/ききょう(ファーストサマーウイカ)が『枕草子』を書き始めるシーンが涙を誘った。しかし、史実では、清少納言の思いもむなしく、定子は24歳で亡くなってしまう。どんな最期だったのだろうか? ■一条天皇の寵愛を独占していた定子 藤原道隆の長女・定子といえば、一条天皇の中宮となって以降、中関白家の期待を一身に背負った女性であった。しかし、兄・伊周らが花山法皇に弓を引くという長徳の変(996年)を巻き起こしたことで没落。その煽りを受けて定子も、自ら髪を切って落飾した。 それでも、長女が誕生したことで再び中宮に迎え入れられ、引き続き一条天皇の寵愛を一身に受け続けたのである。999年には長男が誕生。その2ヶ月後には、慌ただしくも、道長の長女・彰子が、新たに皇后に冊入されて中宮と号した(定子は皇后宮に)こともあったが、まだ12歳とあって、一条天皇を虜にするほどの大人の女性にはなり切れていなかったようである。 この頃の天皇の周囲には、彼女らの他にも、藤原元子や義子、尊子といった女御たちがいたが、いずれも、それほど天皇の寵愛を受けることはなかった。あいも変わらず、定子が天皇の寵愛を独占するという状況が続いていたのだ。これに危惧を抱いた道長が、彰子の元へ天皇が足繁く通ってもらえるようにとの願いを込めて紫式部を雇い入れたことも、よく知られるところだろう。 ■死後、発見された遺書の内容 しかし、天皇の寵愛を独占する定子の幸せも、そう長くは続かなかった。1000年の暮れ、第二皇女・媄子内親王を出産したものの、産褥によって崩御してしまったからである。わずか24歳という若さであった。 その死後、発見されたのが、御帳台の帷の紐に結び付けられていた定子の遺書であった。そこに記されていた一首が、「よもすがら 契りし事を わすれずは 恋ひん涙の 色ぞゆかしき」。いわば辞世の歌である。 意訳するなら、「夜通し愛を誓ったことをお忘れではないですよね。私のことを思って泣いてくださるその涙の色とは、いったいどのようなものなのでしょうか」というあたりだろうか。すでに死を予感していたのだろう、思いの丈をその歌に込めたことがわかる歌であった。
藤井勝彦