【山手線駅名ストーリー:恵比寿 JY21】これぞ100年ヒット商品!駅名となり、町の名前にもなった元祖プレミアムビール
名所もビールと名水に関連している
名所もビールにまつわる。そもそも、なぜ恵比寿にビール工場を建てたのか――三田分水が流れており、その水がビールの醸造に適していたからだった。 三田分水は羽村を起点とした玉川上水が、下北沢村(世田谷区北沢)で分水し、恵比寿を経て三田方面に流れる用水路だった。農地の宅地化が進むに連れて次第に暗渠となったため、現在では遺構も少ないが、恵比寿駅から東へ3.5キロの目黒区三田1丁目に「三田用水跡」のモニュメントがある。
モニュメントには、こう解説が記されている。「農耕・製粉・精米の水車などに用いられた用水も、明治以降は工業用水やビール工場の用水など、用途を変更し利用されてきたが、やがてそれも不用となり、1975年にその流れを完全に止め、約300年にわたる歴史の幕を閉じた」 なお、ビール工場は千葉県船橋市に移る1988(昭和63)年まで、恵比寿で操業を続けた。 今年4月にオープンした「YEBISU BREWERY TOKYO」では36年ぶりに整備した醸造施設で、厳選したビール酵母を使った造りたてのビールを試飲できる。ヱビスビールの130年以上にわたる歴史の資料写真やかつての恵比寿の風景写真の展示コーナーもあり、大人の社会科見学を楽しめるミュージアムといえる。
一方、近世より前の歴史を知りたいなら、祥雲寺(しょううんじ)がおすすめ。臨済宗大徳寺派の寺院である。 福岡藩黒田家が創建した寺で、最初は赤坂溜池の黒田藩中屋敷の敷地にあったという。それが何回か移転したのち、1668(寛文8)年、現在の地に落ち着いた。黒田藩をはじめ、久留米藩有馬家、狭山藩北条家、柳本藩織田家などの墓がある。 黒田家は豊臣秀吉に仕えた軍師・官兵衛と息子・長政が知られ、有馬家は摂津出身の戦国武将・豊氏が久留米藩を興した。ともに外様の有力大名である。 北条家は武田信玄や上杉謙信、徳川家康と争った相模の後北条氏の末裔で、江戸時代に狭山藩を立藩し、明治維新まで存続した。織田家は信長の弟・有楽斎の流れを汲み、こちらも明治維新後の版籍奉還により知藩事となった家柄だ。北条も織田も名門である。 なぜ、これほどの大名たちの墓所が祥雲寺に揃っているかというと、寺社奉行と寺院との間を仲介する「触頭(ふれがしら)」の役目を担い、「独礼(どくれい)」つまり単独で将軍に拝謁できる寺院だからだった。有力大名が墓所を置くのにふさわしい「格」を備えていたのである。 明治より前の時代を伝える歴史遺産が少ない恵比寿にあって、貴重な寺といえるだろう。 ※三田用水跡モニュメント(場所)の記載に誤りがありましたので、修正・更新しました。