VWゴルフの呪縛を打ち破った“革命児”ワンダーシビック
ワンダーシビックと言ってピンと来る人はどのくらいいるだろうか? デビューは1983年の9月だからもう30年も昔のことになる。当時のホンダはまさに大躍進の最中だった。世界でも例外的に数多くのメーカーがひしめく日本市場で、ホンダだけが飛びぬけて斬新な商品を産み出していた。「世の中には2種類のクルマがある。フェラーリとそれ以外だ」というジョークがあるが、当時のホンダはそれに近いオーラを放っていた「ホンダとそれ以外」。その熱狂はシティで始まって、シビックで大きなムーブメントに成長した。 '81年にデビューした初代シティは大ヒットを記録した。ホンダ・ディーラーではシティの商談のために整理券を配り、週末にはクルマを買いたい顧客が商談を待って並ぶと言う、今では考えられないような事態が勃発した。瞬間記録とは言え、ひとりの営業マンが1日に10台売るという伝説的記録を作ったこともある。10台と言えば一か月の営業成績としても立派な台数である。こうしてホンダは「売るには売っても納車整備が間に合わない」という嬉しい悲鳴の最中にいたのである。
「ゴルフ」という巨星
しかし、本当の意味で、ホンダをトヨタ、ニッサンとならぶメジャー自動車メーカーに押し上げたのはシティに続いてデビューしたワンダーシビックだった。シビックの他に、カローラ、サニー、ファミリアなどが属するこのクラスをCセグメントと言う。これは'74年にデビューした初代フォルクスワーゲン・ゴルフが打ち立てたクラスだ。ゴルフの話を抜きにCセグメントは語れない。 一つ上のコロナ、ブルーバード、アコードというDセグメントがフォーマルなセダンボディを持ち、4人の大人が余裕を持って乗車できることが求められるのに対して、Cセグメントはとりあえず大人4人が乗れればOKとする商品。ファミリーカーのロワーエンドを担いつつ、若者向けパーソナルカーの中心商品でもあるというのがその立ち位置だ。 特に'73年10月の第四次中東戦争を契機に引き起こされたオイルショックで、高性能、豪華、贅沢という無駄の美学が否定されて以降、Cセグメントは新時代の合理的自動車として、現在のハイブリッドのような特別感のある商品になっていった。もちろんゴルフは、時期から言ってオイルショックを見据えて開発されたわけではない。しかし、デビュー目前のゴルフにとって、オイルショックはまさに神風としか言いようの無いフォローの風だった。 ほぼ同時期に数多くのスーパーカーがデビューし、オイルショックという時代の激変の前にバタバタと討ち死にして行く中で、ゴルフはまさに幸運に恵まれていた。しかし、その背景には新時代の自動車という明確なコンセプトがあった。そうした実力に加え、運命の女神の後押しを得てゴルフは時代の寵児になっていくのだ。