「ぼくの車椅子を押してくれるかい?」ピート・ハミルがささやいた、意外すぎるプロポーズの言葉
死がふたりを分かつまで
翌年、ピートは約束した通り、2月にニューヨークへ帰ってきた。メキシコ滞在はもう少し長くなりそうだといい始めていたが、メキシコ国立自治大学の学生ストの報道をめぐって経営者と編集方針が大きく食い違い、13名の記者とともにストライキに突入した。 結局、話し合いは平行線を辿るばかりで双方歩み寄る余地もなく、ピートは辞表を出してメキシコを後にした。わたしもニューズウィーク日本版の仕事をちょうど3年で辞めることに決めた。 わたしたちが結婚したのは1987年5月23日、ピートの友達で先輩に当たるコラムニストのジミー・ブレズリンの自宅に家族や友人が100名以上集まってくれた。セントラル・パークに近い瀟洒(しょうしゃ)なアパートにはわたしの両親も東京から駆けつけてくれた。馴染みのお寿司屋さんが特別出張して目の前で握ってくれたのは大好評だった。 友人のチェロ奏者数名がウエディング・マーチを奏でてくれるなか、ピートの親しいミルトン・モラン判事の前に歩み出たわたしたちは、それぞれ伴侶となるかを聞かれ、「イエス」と答え、指輪を交換した。 「良い時も悪い時も、病気の時も健康な時も、死がふたりを分かつまで、人生を共にするのです」 響くような低音でいった判事のその声を、今でもよく覚えている。 「死がふたりを分かつまで」――それは思ったほど長い歳月ではなかった。 (第7回に続く) ※『アローン・アゲイン 最愛の夫ピート・ハミルをなくして』より一部抜粋・再編集。
青木冨貴子(アオキ・フキコ) 1948(昭和23)年東京生まれ。作家。1984年渡米し、「ニューズウィーク日本版」ニューヨーク支局長を3年間務める。1987年作家のピート・ハミル氏と結婚。著書に『ライカでグッドバイ――カメラマン沢田教一が撃たれた日』『たまらなく日本人』『ニューヨーカーズ』『目撃 アメリカ崩壊』『731―石井四郎と細菌戦部隊の闇を暴く―』『昭和天皇とワシントンを結んだ男――「パケナム日記」が語る日本占領』『GHQと戦った女 沢田美喜』など。ニューヨーク在住。 デイリー新潮編集部
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