「七」の縁でつながる支援 能登半島の七尾市と宮城県七ヶ浜町 きっかけは東日本大震災
能登半島地震で大きな被害を受けた石川県七尾市。地名に「七」がつく縁で、宮城県七ヶ浜町の人たちがボランティアに通っている。東日本大震災を経験したからこそできる支援があるという。 【画像】東日本大震災の経験から交流を重視
1万4000棟以上の住宅に被害
石川県北部、能登半島の中央部に位置する七尾市。人口はおよそ4万7千人、自然豊かな土地だ。能登半島地震では最大震度6強を観測し、被害を受けた建物はおよそ1万4157棟に上った。(2024年5月21日時点) 5月18日、七尾市内の道の駅「能登食祭市場」が4カ月半ぶりに営業を再開した。まだ一部のテナントによる「仮営業」だが、地元で採れた海産物などが並んだ。徐々に復旧が進む場所がある一方で、依然として、再開の見通しが立たない所も少なくない。
歴史ある温泉街も被災 深刻な影響
七尾駅から徒歩10分の場所にある「一本杉通り」。600年の歴史がある七尾市の中心商店街だ。50以上の店が並んでいるが、倒壊し、今も営業を再開できていない店舗が多くある。 老舗旅館が並び、全国的にも有名な温泉街のひとつ「和倉温泉」にも地震の爪痕は深く刻まれている。開湯から1200年以上という歴史を誇る温泉街。旅館の建物や道の損傷が激しく、21ある旅館のうち、営業を再開できた旅館はわずか1つ。ほとんどは再開のめどが立っていない。まちの主要産業のひとつである観光も、いまだ大きな被害から回復できていないという。
慣れない仮設住宅での暮らし
七尾市内には、これまで8カ所の仮設住宅が完成。中島地区にある仮設住宅では80世帯の人たちが暮らす。この仮設住宅で3月から、妻と娘家族あわせて7人で生活する岡本修一さん(72)は「休むときはほとんど、みんな引っ付いて寝ています。まあこんなものかなと思いながら生活している。これ以上、ぜいたく言ったらきりがないし」と話してくれた。
「七」がきっかけで始まった支援
この日、岡本さんたちの暮らす仮設住宅を宮城県七ヶ浜町の人たちが訪れた。前日夜に出発し、車でおよそ10時間かけて七尾市にやってきた。メンバーの一人、鈴木主悦さんは「13年前の震災で全国のボランティアにお世話になっていますので『恩返し』と言ったらおかしいけど、被災された方々に少しでも寄り添っていければ」と参加したという。 東日本大震災で被災したとき、七ヶ浜町には神奈川県鎌倉市七里ヶ浜の人たちがボランティアとして訪れた。地名に「七」がつく共通点で親近感が生まれ、今も交流が続いているという。そんな縁があったからこそ、同じ「七」がつく七尾市を支援したいという思いを持つ仲間がすぐに集まった。七ヶ浜の人たちが支援に訪れたのは、3月に続いて今回が2回目。前回は、およそ300kgの米をボランティアセンターを通じて届けた。今回は、それとは違う狙いがあるという。