島田珠代「内弁慶の人見知りから、クラスの《面白枠》へ転身のきっかけは、小2の書写での褒めちぎり。日常的にギャグを連発する父が大好きで」
「パンティーテックス」「男なんてシャボン玉」など唯一無二のギャグと独創的な動きで部人気の、新喜劇を支える看板女優・島田珠代さん。そんな芸歴36年になる島田さんが、幼少期から仕事、恋愛、自分らしさ、女として生きることなどを赤裸々に綴った初エッセイ『悲しみは笑い飛ばせ!島田珠代の幸福論』。今回はその中から、お笑いの道へと歩むきっかけとなった、幼少期のエピソードを紹介します。 【写真】子どもの頃の島田さん * * * * * * * ◆楽しくておせっかいな父 私は、根っからのお父さんっ子で、父の面白いところが大好きでした。父は大学生の頃、NHKの裏方としてバイトをしていたらしく、芸人さんを間近で見ていたからか、日常的にギャグを連発する人でした。 明るくて、面白くて、頼もしい父。私が舞台で白目を剥くのも、父の影響です。 そんな父の快活な部分が悪い方向に出てしまったときのことは、今でも鮮明に覚えています。きっかけは、私の初恋でした。 小林くんというすごくカッコいい男の子が同じ幼稚園に通っていて、ただただ見ているだけで私は胸がいっぱい。まわりの女の子も小林くんのことを大好きだったし、いわゆるみんなの王子様みたいなポジションだったと思います。 話すことも一緒に遊ぶこともできなかったけど、私はそれで十分でした。
幼稚園では寡黙でしたが、家では「今日、幼稚園でこんなことがあってな!」と話していたので、同じようなテンションで「小林くんっていうカッコいい男の子がいてな!」と得意になって両親に報告していたのです。 その日も私は「今日の小林くんもかっこええわ~」と思いながら部屋の隅から眺めていました。すると、私の父がズカズカと小林くんに近づいて、ニヤリと笑いながら一言。 「うちの娘があんたのこと好きって言ってたわ! これからもよろしくねぇ」 その瞬間、初めて父を見る目が変わりました。心の中で「イヤーー!!」と叫びながら、どこかへ走り去りたい衝動に襲われて、しばらく父を直視することができませんでした。 親って、こんなことすんねや。信じられへん。 当時はそう思っていたのですが、いざ自分に子どもができてみると、段々とその気持ちが分かるようになってきました。そう、親って信じられないようなおせっかいを焼きたくなっちゃう生き物なんです。
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