「みんな一緒に同じ」教育は限界 若手教育長が語り合う「子ども主体の学習に転換の意義」
■子どもが自ら学び方や学習ペースを決める授業 島谷:加賀市の全小中学校では、子どもが自ら学び方や学習ペースを決めるような授業を増やしています。先生とその日の課題を確認した後、子どもたちが教室だけでなく、廊下や図書館、カーペット敷きの教室などに散らばって学ぶ学校もあります。子どもたちが自らの意思で学びを実現できるようにする環境設計をすることが教員の重要な役割。実験の器具を廊下に配置したり、困った子が相談できる「お助けゾーン」を作ったりすることもあります。タブレットで一人黙々と学ぶ子もいれば、友達と協力して進める子もいます。 ──先生方は戸惑いませんでしたか? 島谷:教育を変えることに対して、先生はとても怖がります。子どもの成長に大きな責任を感じているからこそ不安なのです。だから、「失敗しても大丈夫」と伝え続け、研修は不安もシェアできる対話型にし、授業づくりに伴走するチームを学校に派遣しています。 高橋:学習者主体とするならば、「文部科学省→教育委員会→学校→先生→子ども」という従来型のピラミッド型のマネジメントがなじまない場合も出てきます。私たち教育委員会に求められるのは先生を管理するというより、自ら学ぶ子どもたちの姿を目指して、対話し、伴走することだと考えています。 島谷:教育の転換を図ると、「学力はどうなったのか?」と問われます。私は学力だけで成果を測ろうとする限り、教育は変われないと思うのです。学力はたくさんある指標のうちのひとつ。社会から必要とされるコミュニケーション力や自己調整力などは測れません。加賀市の子はとても素直で、嫌なものは嫌と言うし、つまらない授業はつまらなさそうにします(笑)。そんな子が学習者主体の学びの意義を、「自分で勉強をコントロールするために必要」「困ったときに人に助けてもらう力をつけるためのもの」と自身の言葉で語れるようになっています。こうした子どもの変化を追うことこそが、20年後、30年後を生きる人材を育てるということなのではないでしょうか。 (構成/教育ライター・佐藤智) ※AERA 2024年12月9日号より抜粋
佐藤智