「死」の瞬間はこんな感じ…「死に目に会う」よりも、じつは「はるかに大事なこと」がある
---------- だれしも死ぬときはあまり苦しまず、人生に満足を感じながら、安らかな心持ちで最期を迎えたいと思っているのではないでしょうか。 【写真】人が「死んだあと」に起こる「意外なやりとり」 私は医師として、多くの患者さんの最期に接する中で、人工呼吸器や透析器で無理やり生かされ、チューブだらけになって、あちこちから出血しながら、悲惨な最期を迎えた人を、少なからず見ました。 望ましい最期を迎える人と、好ましくない亡くなり方をする人のちがいは、どこにあるのでしょう。 *本記事は、久坂部羊『人はどう死ぬのか』(講談社現代新書)を抜粋、編集したものです。 ----------
死に目に会わせてあげたかったことも
何人もの患者さんを看取ったなかで、私自身、家族を死に目に会わせることができなくて、悔いを残した経験もあります。 私がまだ三十代で、外科医として病院勤務をしていたときのことですが、Iさんという四十八歳のスキルス性胃がんの女性に、胃の全摘手術をしました。手術後の経過は順調で、食事も五分粥まで進んでいたのですが、突如、容態が悪化して、多臓器不全になりました。原因は不明(感染も発熱も吻合不全もありませんでした)で、私は人工呼吸器をつけるなど、できるかぎりの治療を試みましたが、ついに急変して血圧が下がりはじめました。 Iさんは家庭事情が複雑で、中学二年生の息子さんと母一人子一人の生活をしていました。病気の説明や、手術後の容態の説明は、Iさんの叔母に当たる人にしていて、息子さんには会ったことがありませんでした。 急変してすぐに叔母さんと息子さんに連絡をして、私はなんとか二人が来るまでIさんの命をつなごうと努力しました。 まず叔母さんが到着して、いったん面会してもらったあと、病室の外で待ってもらうようにしました。 そのうち、Iさんの心臓が止まったので、私は専用のボードをIさんの背中に敷き、心臓マッサージをはじめました。ボードを敷くのは、ベッドのスプリングでマッサージの圧力が吸収されるのを防ぐためです。 カウンターショックも試しましたが、効果はありません。私は息子さんが来るまで心臓マッサージを続けるつもりで、懸命にIさんの胸を押しました。アルバイト先の病院で、“儀式”としてするのとちがい、本格的なマッサージですから、かなりの強さで弾みをつけながら押します。すると、ものの五分もすると全身から汗が噴き出しました。 さらに五分ほど続けると、両腕がだるくなり、息も上がってきました。トレーニングを積んだ救急救命士なら平気なのかもしれませんが、私には耐えがたい重労働でした。 息子さんはまだかと何度も問い合わせてもらいましたが、中学校はすでに出たとの返事をするばかりで、どのあたりまで来ているのかもわかりません。とにかく息子さんが来るまではと懸命に頑張りましたが、情けないことながら十五分ほどで限界を超え、私は心臓マッサージを中止しました。 叔母さんに臨終を告げ、人工呼吸器や点滴ルート、心電計、導尿カテーテルなどをはずして、面会してもらいました。 息子さんが到着したのは、それからさらに十五分ほどしてからでした。急いで来たのでしょうが、さほど息も乱さず、どう振る舞ったらいいのかわからないようすで、戸惑っていました。学生服に身を包んだやや小太りの内気そうな少年で、病室に案内すると、ベッドの横に立ち、帰らぬ人となった母親をじっと見ていました。泣き崩れることもなく、声をかけることもありません。ただ、うつむき加減の目から、ポタポタと涙が床に滴り落ちていました。 私は申し訳ない気持ちでいっぱいで、声をかけることもできず、ただうなだれることしかできませんでした。 彼には母親の死に目に会わせてあげたかったと、今でも思います。無理な心臓マッサージをして、見せかけの死に目を作ってでも、そうしたほうがよかったと思うのは、相手がまだ少年だからです。 大人にはそんな必要はないと思いたい。その理由は、死に目より大事なものを見失いかねないからです。