「牡丹と薔薇」から20年…【小沢真珠さん(47歳)】「意地悪役に迷いがなくなったのは娘の反応がきっかけ」|美ST
伝説の昼ドラ「牡丹と薔薇」で、女優として確固たる地位を築くとともに、新たな扉を開いてその名を世に知らしめた小沢真珠さん。デビュー時も「恵まれていた」と語る通り順風満帆な女優業かと思いきや、デビューが順調だったからこその悩み、さらに「牡丹と薔薇」の大ヒット後には、世間から求められる姿に葛藤を覚えていたこともあるのだそう。そうした悩みの数々をどう乗り越えてきたのか、乗り越えた先に見えてきた女優として目指す方向について…小沢さんの知られざる一面をお届けします。 【写真あり】「牡丹と薔薇」時代から変わらず美しい小沢真珠さん(47歳)
父親の猛反対を押し切って「異次元の世界」と思っていた芸能界へ
芸能界イコール、テレビの中の世界。私が小学生の頃はSNSもなく、今と比べものにならないほど視聴者との隔たりがありました。それこそ異次元の世界。私は特に後藤久美子さんのファンで後藤さんが出演されていたドラマはすべて観たりと、その華やかさに憧れはありましたが、まさか自分がそっち側にいけるだなんて思いもしませんでした。ありがたいことに小学生の頃から街でスカウトされることはありましたが、父が猛反対でしたし、私自身も「無理だろうな」と思っていたんです。それでも憧れが潰えることはありませんでした。 今の事務所の方にスカウトされたのは私が16歳の時。渋谷の街を歩いていたときです。当時は生意気盛りの反抗期で(笑)、自分の可能性を試したり、見たことのない大きな世界への憧れを、もう抑えきれませんでした。「やれるんじゃない?やれるかも!」と、期待が渦巻いていたんです。父親からは相変わらず反対されましたが、事務所には石田ゆり子さんにひかりさん姉妹、一色紗英さんなどの名だたる女優さんが所属していたことと、私の反抗期エネルギーという力技で最終的にOKをもらって、芸能界に飛び込むことになりました。
恵まれたデビューでしたが、20代は理想と現実のギャップに焦りが募るばかり
今思えば、すごく恵まれたデビューだったと思います。すぐにCMもグラビアもドラマも決まって、トントン拍子に忙しくなりました。女子校に通っていましたが、あまりに忙しくなってしまい通信制の高校に編入せざるをえなくなってしまうほど。 運が良かったのですが、いかんせん実績も実力もない状態で芸能界に入ってしまったので、現場での自分の立ち位置ひとつとっても四苦八苦。悩んでしまうことのほうが多かったですね。ドラマの仕事では「役に入る」ということがさっぱりわからなくて。演技レッスンは多少受けましたが、現場で生かされることはありませんでした。仕事への熱意や野心はあるのに、思うように仕事ができず焦りばかりが募る日々。20歳くらいの頃は仕事自体がほとんどなく、5~6年は模索の時代。同世代の人達が大学生や新社会人として輝いて見えました。 何をどうしたら良いのかすらわからず、舞台や映画を積極的に観に行ってインプットしながら、仕事の後は「ああやっていればもっと上手くいったんじゃないか」と反省会。思い返せば一番悩みが多い時期でしたが、それでも辞めようと思ったことは一度もありません。楽しいこともあったし、やっぱり憧れた世界ですから。そういう模索の時代を経たからこそ、「牡丹と薔薇」も直感で「これは!」と思えたのかもしれません。