43年のロングセラーとなったSRの歴史は、エイプリルフールの企画から始まった?
43年間という長い間生産が続けられたSRシリーズは、日本のバイク史上におけるキング・オブ・シングルであると言って過言ではないだろう。ネオクラシックというバイクカテゴリーが定着して久しいが、その根源となったのは1990年代に起こった「SRブーム」である。生産が終了して3年が経った今、改めてSRというバイクを見つめ直してみたい。 【画像】ヤマハSR400/500や関連モデルをギャラリーで見る(26枚) 文/Webikeプラス 後藤秀之
「嘘」から始まったシングルスポーツバイク「ロードボンバー」
SR元々はオフロードバイクXT500をベースにしたスポーツバイクであり、そのプロトタイプと言えるのが雑誌モト・ライダーとモーターサイクリスト誌の元メインテスターであった島 英彦氏が作り上げた「ロードボンバー」である。元々はエイプリルフールの企画であったが、実際に走るバイクを作ってしまったのである。筆者は個人的に島氏と交流があり、第一線から退いても最新のモトGPマシンの技術について熱く語っていたことを思い出す。このロードボンバーは1977年の鈴鹿6時間耐久レースに参加し、なんと18位という成績を残している。ちなみにこの時のライダーは、今も現役のモーターサイクルジャーナリストである山田 純氏と堀ひろ子氏のおふたりである。さらに翌1978年の鈴鹿8時間耐久レースでは、総合8位、クラス6位を獲得するに至った。
シングルスポーツバイクから、クラシック路線への変更
少し話が逸れたが、エイプリルフールの企画は現実のものとなり、ヤマハから1978年にSRが発売された。このようにSRの出自はシングルエンジンを積んだスポーツバイクであり、発売翌年にはホイールがキャストホイールへと変更されてたのもその流れである。しかし、SRブームが来るよりも以前に、ヤマハ自身によってSRはクラシックバイクベースとしての可能性を見出されている。それはキャストホイールからスポークホイールへとサイド変更した1983年と、元々ディスクブレーキであったフロントブレーキをドラムブレーキへと変更した1985年のことだ。このスポークホイール+ドラムブレーキとなったSRをベースに、オレンジブルバードやモトサロンといったショップがクラシカルなブリティッシュレーサースタイルのカスタムを作り始め、それがやがてメーカーまで巻き込んだネオクラシックブームへと発展していったのである。ドラムブレーキからディスクブレーキへの変更は、メカニズム的な見地からすると退化である。しかし、時代がそれを求めたのと、ロードボンバーの提案したシングルスポーツバイクの正常進化系としてのSRX600/400が同じ1985年に発売されたことも関係しているだろう。