北朝鮮が“激高”した「リビア方式」とは? 坂東太郎のよく分かる時事用語
核を廃棄した南ア、制限で合意のイラン
そもそも「核兵器を持っていい国と悪い国」を定めたのが、1968年調印で70年から発効された「核兵器拡散防止条約」(NPT)です。67年1月1日以前に核実験を行ったアメリカ、ソ連(継承国はロシア)、イギリス、フランス、中国を「核保有国」として限定し、それ以外の国による保有を禁止しました。現存する国際法で最も核の脅威を遠ざける効力があるとされる一方で、保有国を認めた時点で不平等条約だという反発も当初から内包していました。 まずは成果から。第二次世界大戦中から核兵器の開発を進めてきたスウェーデンはNPT原加盟国となって、開発を止めます。「重武装による永世中立」を国是とするスイスも88年に非核化し97年にNPTを批准。南米の2大国であるブラジルとアルゼンチンも開発を進めていましたが、ブラジルは88年に、アルゼンチンも90年に「やめた」と宣言。アルゼンチンは95年に、ブラジルも98年にNPTを批准しています。 いくらか厄介であったのが南アフリカ。アパルトヘイト(人種隔離政策)への国際的非難の高まりに対抗するように、1970年代頃から濃縮ウランの生産を進め、原爆も製造していました。89年に就任したデクラーク大統領は、国際社会に復帰する要件として核廃棄を決め、核兵器をすべて解体したとされています。91年にNPTへ加盟しました。 NPTは同時に限界も露呈しています。先に述べた「不平等条約」批判は根強く、不満の急先鋒である未加盟のインドは隣国パキスタンとの紛争を抱え、1974年に核実験を行いました。98年にも実験を成功させ、対抗するように、パキスタンも実験成功。核保有国とみなされています。同じく未加盟のイスラエルは現時点で核保有が確実とみられていますが、同国は公式には認めていません。 加盟国でありながら核疑惑を持たれて今日に至るのがイラン。2002年に核開発が暴露されて以来、いったんはウラン濃縮活動の停止で欧州連合(EU)と合意するも、05年に反米強硬派のアフマディネジャド大統領が就任するや再び緊張が高まります。 2006年にウラン濃縮活動を再開。同年から10年までに国連安保理は計4回の経済を含む制裁を決め、12年にはアメリカとEUがイラン原油の輸入禁止を決めて締め上げにかかったものの、濃縮活動は継続されました。 潮目が変わったのが2013年選挙で、同じ保守ではありながら穏健な位置取りを模索するロウハニ大統領が当選してから。アメリカなど安保理常任理事国5か国にドイツを含めた交渉団がイランと話し合い、核兵器に転用可能なウラン濃縮の能力を大きく制限して厳しい監視下に置くことを条件に、これまで課されてきた経済制裁を解除するという最終合意が15年にまとまりました。ところが18年5月、トランプ米大統領がこの合意から離脱すると発表して大混乱に陥っているのです。
--------------------------------- ■坂東太郎(ばんどう・たろう) 毎日新聞記者などを経て、日本ニュース時事能力検定協会監事、十文字学園女子大学非常勤講師を務める。著書に『マスコミの秘密』『時事問題の裏技』『ニュースの歴史学』など